[漫画]そのカーテンコールを待っていた……!『ARIA THE MASTERPIECE』1
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刊行がスタートしたARIA完全版シリーズ。
リアルタイムで青春時代楽しんだ漫画の完全版なり文庫版なりが出始めると「歳くったなぁ」と思わされますが、ARIAのコレも然り。
今回の更新ですが、ARIA完全版の記事というより、発売記念にARIA関連の話をつらつらしたいがためにしています。もし完全版の中身とか仕様が知りたい人がいたのならすみません。
蒼のカーテンコール http://comic.mag-garden.co.jp/aria/books.html
●完全版が出るのって嬉しいよね
ARIAにかぎらずの話。完全版もちろん嬉しい。当時大好きだった作品が、今なお愛され続けている証でもある。今も忘れられずにある、その歓びはすごいです。
リマスターで再発売されるような作品、業界全体で見たら稀も稀なわけで。
「新品」として大好きだった作品を改めて書店のレジに持っていけること、これも幸福です。このARIAの時や、藤異秀明版「真・女神転生デビルチルドレン」漫画版の時にも思ったことですが、出てくれてありがとう、あの時はありがとう、みたいな気持ち。
俺は小中学の時なんかは結構、まぁあんまり言葉にすべきではないけれど、古本屋を利用していて、当時古本で買ったコミックスが今も本棚に入っていたりする。
中古問題はけっこう火種になりがちだからデリケートに扱いたいんだけど、実際、俺は使っていた。
「とりあえずブクオフで」と1巻買って面白くてそれから新品、みたいなことよくやっていました。
中古で買って、そこからその漫画にドハマリしたのに、新品に買い直すところまでは行動に移せず今に至り、罪悪感のようなものがあります。
完全版で嬉しいことって、いま改めて新品として購入することで、そんな自分の罪悪感をすこし拭うことができることなのかな、ということを今回感じました。一般論ではなく自分の話として。
好きなものにちゃんとお金を払えるということは幸せなんだよな。やっとこさ働いて自分のお金で買い物できるようになって、しみじみ思います。
特にARIA完全版は仕様も豪華で1冊あたり1300円。それが全7巻構成!けして漫画としてはお安くない。でも間違いなく最後まで購入するし、十分に価値がある。そして恩返しのような気持ちにもなる。
●過去最高に盛り上がる俺の中のARIA熱
昔よりも今だ!いまARIAはあついんだよ!!
というかここ半年くらい、自分の中でARIAの存在感がめちゃくちゃ大きくなりました。
昔読んでたしアニメも見てたけど無事にキレイに完結したし、「いい作品だよね」という捉え方をしたまま自分の中で評価が終わっていた。逆に言えばそこまで深く心に食い込んでいたわけではなかったと言える。
それが変えられたのはコイツである。
映画版『ARIA The AVVENIRE』!!!
原作完結から7年が経過し2015年に、まさかの新作映画ですよ。新作アニメ3本からなり、今度こそ本当にARIAのグランドフィナーレを飾った。
それと、この映画のパンフレットがすさまじかったのです。
なんせ天野こずえ先生による、完全新作漫画が40ページ超えの大ボリュームで掲載されている。
このパンフレット漫画と映画本編の、そのあまりにも満たされた幸福な世界に、20代となった今の俺はすっかり撃ちぬかれてしまいました。「アフターストーリー」大好きな人間としては、大興奮まちがいナシの内容!!
それときっと10代のときとは感覚や嗅覚がかわっているんだろうなとも思う。
昔よりARIAが好きになっていた。
いまとなってはとらのあなとかでも置いているのを見かけるけれど、
このパンフ劇場ではすぐなくなってしまって、再販目当てで劇場見にいったりしてました。それくらい価値がある。
俺はアニメ3期は実は見れていないんですけど、原作はキレイに完結していたし、最初この映画もそこまで気になるものではなかったです。レンタルしようかなくらい。(BOX収録になったので結果的にはレンタルはたぶん出来ないので劇場で見たほうが良かった
映画を見る前、パンフを読む前、「原作のあのエンディング以上のなにかあるか?」と、実は大した期待はしていませんでした。
知人から「映画のARIAは、“いまは昔ほどではないけれど、昔ARIA好きだったヤツ”ほど無理やりにでも見たほうが良い」みたいなオススメをされて、それって俺じゃん、と見に行きまして、それからみごっとに、やられたワケです。
『好き』を深める映画であり、パンフ漫画でした。
「あまんちゅ」アニメへの接続だとか、原作完全版とアニメBOXの発売タイミングをあわせてお祭りにしようとか、きっと色々戦略はあっての事なんだろうけれど
2015年に勃発したARIA祭のおかげで、当時よりはるかにアツく、ARIA熱が荒ぶっているのです。
●完全版そのものの出来がいい
話をもどして完全版の話。
描きおろしカバーと扉イラスト、変色しづらい上質紙、連載時のカラーページは完全再現、あたりが特徴。あと単純に版も大きくなっている。本棚に入れると流石に迫力がある。
サイズが大きくなったことが個人的に特に良い。
ARIAシリーズのみならず天野こずえ先生ならではの贅沢かつ効果的な見開き演出、ページを開いた瞬間にそのページに引きずり込まれるような、あの惚れ惚れするほどの没入感が版が大きくなることでさらに強くなっているように思います。
広々としたネオ・ヴェネツィアの景色を爽快に、そして豊かに楽しめる。
・・・オビをいまふと見たら、全員サービスみたいな全巻購入特典もあるみたい。
それとは別に、各種店舗では購入特典もあり。例えばメイトでは全巻購入でタペストリーがつくとかになっているので気になる人はそちらもチェック。(自分もメイトでマラソン予定
あと地味にいいのが、「AQUA」と「ARIA」がタイトル変わらずに一緒になった点。
この第一巻も原版AQUAの1巻~2巻が収録されています。
久しぶりに読み返したら、この1巻収録分だと「水没の街」「夜光鈴」あたりのノスタルジーな空気がほんとたまらないですね・・・なんて神秘的で甘酸っぱいんだ。
そしてペア昇格のエピソードは、あの映画を見た後なので、おもわず泣きかけたり。
一連のARIAプロジェクトの名前にもなっている
“カーテンコール”
それにふさわしい、愛を感じる出来栄えとなっていると思います。
もう今後これ以上に豪華なARIA本は出てこないんじゃないかなぁ流石に。
そもそも俺がこの完全版シリーズを揃えようかと決意したのかって
そりゃ映画で熱が昂ぶりまくっていることは一番なのですが
あの劇的に素晴らしいパンフ漫画が、この完全版最終巻で、本編から直接繋がるかたちできっと収録されてくれることだろうと期待しているからです。
あんな素晴らしい漫画を、一部の人しか手に取れないパンフレット収録のみにとどめておくのはもったいないでしょう・・・!というかここで完全版に収録しとかないと将来的には読む手段がめちゃくちゃ減るぞ!
仲間ハズレなのも悲しいので番外編ではなくちゃんと「本編」として迎え入れられて欲しいな。
公式でなにも言われてないので完全に俺の憶測・希望でしかないんですが!
・・・余談。この完全版1巻、もとは11月発売だったんですが1月発売に延期され、
当初は毎月刊行とされていたはずがつぎの2巻発売が3月だったり・・・
いろいろグラグラしていますが、本の出来そのものはバッチリなので
どんだけ延期されたってちゃんと出てしてくれさえすればいいという気持ち。
楽しみなことを待つ楽しみって、ARIAでもたくさん言っていたしね。
『ARIA THE MASTERPIECE』1 ・・・・・・・・・★★★★☆
完全版だしうまい評価はできないけれど、とても大切な本になりそうです。俺はいまARIAがアツイんだ。
[漫画]正しい愛し方を知らない『あなたの世界で終わりたい』
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誰だって 強がって 他愛もない嘘をつくから
あおのなち先生の作品集「あなたの世界で終わりたい」感想。
前回の「あの子に優しい世界がいい」と連続刊行されたうちの一冊目。
表紙の雰囲気からもわかりますがはっきりと差別化されていて、2冊一緒に手元においておきたいデザインとなっています。並べて本棚に置くと綺麗。
→恋のような魔法があるなら『あの子に優しい世界がいい』
さて、こちらの短編集はどちらかというとダークなメルヘン要素が強いかなと感じる。
モチーフとなっているのは例えば天使だとか吸血鬼だとか。
どちらにせよ人外×少女の組み合わせとなっており、そういったジャンルが好みの方なら特にオススメしたい。
全部で4編を収録しています。それでは個別に。
●「Goodbye my god」
転入してきたイケメンは、そのあと不登校になった。
プリントを届けに彼の家に行ったら彼には羽根が生えていた。
転校生は天使だったのだ。
自分を赦せるか、がテーマなのだろうか。正直もっと先を読みたい、もっと言葉が欲しくなった短編ではある。けれどあの静寂のなかで歩み出す一瞬で幕を下ろすこの短編は、この本の中で1番いとおしい物語。
できそこないの自分。周囲と違うことに耐えられず逃げ出した弱い自分。
人間の世界に馴染めずに登校拒否をする自分。
天使である園田くんは、クラスメイトのの田村さんと会話する中で、自分のナイーブな部分をどんどんとさらけ出していく。
話し相手が現れた歓びもあったろうけれど、それ以上に、これまで彼はどれだけ寂しい孤独の中にいたのか、彼の懐きぶりの裏側を想像するだに胸が締め付けられる。
捨てられたことを嘆いた天使は、自らの意思でその翼を捨てる。
天使でも人間でもどちらでもない状況から、一歩踏み出したことで
園田くんの中で、どれだけ田村さんのぬくもりが大切であったかがわかる。
しかしこの小さな一歩から少年と少女はどう変わっていくんだろう。
田村さんはクラスで浮き気味。家庭も円満とは到底言えず。
きっと様々な変化がこれからあるだろうけれど、それをきちんと読んでみたかったなぁ。
続編があったら学園ラブコメ路線でオナシャス!!(無理
美しい、印象的な結末でしたが、やはりもっと様々なものが解消された世界まで描き切って欲しかったようにも思う。贅沢かな・・・
神を捨てて少女の手をとるというのはタイトル回収がうまくされてて好き。
●「僕らの破片」
兄妹の描いたショート。正しい愛とはなんだろう、というテーマを描く。
主人公のお兄ちゃんは、昔から男の子を好きになる男の子だった。
幼少の頃より「自分は普通ではない」ということを知り、いまなおその現実に苦しめられながら、好きな人にたやすく裏切られながら、いま妹の恋愛相談を受けている。
ラストは思わずニヤリとさせられる仕掛け。
妹のきらめいた瞳は、果たしていつまで光っていられるだろう。
彼女もまた、イバラの恋を征く。
兄貴の呪うような祈るような冷たい視線がぐいぐいと読者を引き込んでくる。
●「Mr.wonderland」
「ぼくたち、『ミスター・なんちゃら』みたいなタイトルに弱い芸人でーす!」
というくだらないネタはさておき、この短編はほかとちょっと趣が違う。
まさにワンダーランドに迷い込む夢の物語で、ファンシーでありつつかなりオドロオドロしい、黒っぽい血で塗り潰された悪夢のような感触。なのに夢の最後は、甘酸っぱくてセンチメンタル。
ワンダーランドに無邪気にあこがれる少女期からの卒業、そんなストーリーかな。
お別れを告げるラストシーンはずいぶんと大人びたキス。
●「貴女の世界で終わりたい」
表題作。「あなた」と「貴女」の変更点は色々意味深なポイント。
コミックスのタイトルにするにあたって、より幅広い意味が与えられた。
80ページ程の中編であり、かなりエネルギーがつまった作品に感じられます。
死にたい願う少女。血を飲めず衰弱する吸血鬼。
少女は、どうせ死ぬならあなたに殺されたいと願う。
願いながらも、閉じた世界でふたりは寄り添って、何事もない会話を交わす。
以下、ネタバレになってしまうので注意で。
・・・やはりこのラストの解釈はいろいろ出来そうなので、自分のものを書いておく。
最後で主人公の名は「田村芙由」であったことが明かされるわけですが
田村という姓はそもそも吸血鬼が名乗っていたものだったはず。
この作品における吸血鬼とは実在するモンスターというより、心に巣食う鬼。つまり最初から吸血鬼なんてのはこの世界に存在はしていなかった。彼がいたのは芙由の心の中。
「貴女の世界」。
彼女が急に孤独感に苛まれて不登校になったのは、弱った心に吸血鬼が取り憑いたから。
そりゃ150年前から生きてる吸血鬼が「田村」を名乗っているの、いま思えば違和感ありまくりである。
芙由が勝手に精神の深層世界でもうひとりの自分と語らっていたということも考えられる。
「貴女のことがきっと好きだった」と吸血鬼に言われたのも、彼女の妄想だったのだろうか。
芙由も吸血鬼も、母親という存在をとても重々しく捉えていることも共通する。
吸血鬼とは、心のもうひとりの芙由だったということだろうか。
しかし吸血鬼のセリフひとつひとつを見ても、死にたがる芙由に現実で戦うことを求めたりかなりアクティブ。
その上で母親と同じ悲劇を辿ろうという彼固有のバックボーンもあったり
芙由の中だけに存在する幻影などではなく、ちゃんとした個として描かれている。
彼が「成り損ない」であったことが、芙由が生き延びた理由として述べられている。
彼が出来損ないなのは血が飲めないこともあるけれど、まずターゲットを死に至らしめることができない心の優しさもあり、さらに言えば取り憑いた少女に恋をしてしまうような詰めの甘さもあったりする。
結局のところ、ひどく脆く儚い、存在だった。
人の心の中にしか存在しないとは言っても、きっとこんな弱い吸血鬼がいたのだろうと
そう信じさせてくれるような説得力のあるラストとなっている。
「ヒトとして死ぬ」ことを選ぶ。誰かのために命を投げ出せるような恋ができる。
印象的なモノローグのタイミングだとかコマ割りの華麗さだとか
かなり雰囲気で魅せてくるタイプの作品。スタイリッシュ。
そういえばこの作品も「Goodbye my god」も、姓が田村なキャラが出てくるのはなにか関連があるのだろうか。
そんな作品集。
「あなたの世界で終わりたい」「あの子に優しい世界がいい」2冊並べて置くが吉。
主にページ数の多い「Goodbye my god」「貴女の世界で終わりたい」のイメージから来ているけれど、コンプレックス・・・というか疲れて弱り果ててしまった心を、いかにして開放するか、そういった場面が印象的な一冊。
開放は傷を抱えながら生きていくことでもあるし、あるいは死に場所を見つけることでもある。
なんだかんだで出てくるキャラ、ギリギリで生きることに執着してくれるからそう暗いものでもない。
あおのなち先生の同人誌こんど出たらきっと手に入れる。
『あなたの世界で終わりたい』 ・・・・・・・・・★★★☆
美麗な作画、澄んだ氷のような世界観、スタイリッシュなキメシーン。ツボ。
「あの子に優しい世界がいい」と比べると、なんとなくこちらの方が暗い・・・ような。
[漫画]恋のような魔法があるなら『あの子に優しい世界がいい』
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そんなもの 早く壊れてしまえばいい
あおのなち先生の作品集「あの子にやさしい世界がいい」の感想です。
商業誌に掲載されたものや同人誌で発表されたもの、計4作を収録。
先月に「あなたの世界で終わりたい」という作品集も発売されておりこちらも次回に更新するつもり。どちらもいい本です。いまイチオシ作家。
百合、BLなども含む魅惑的な人間関係を一冊。
アンドロイドと主人のイビツな主従、はたまたキラキラした魔法使いの世界。
かわいらしくいじらしく、時折こころ切り裂く切なさが込められた作品たちが広がります。
前作「あなたの世界で終わりたい」が吸血鬼や天使といったファンタジックなモチーフが目立ったことを考えると、あちらのダーク寄りな空気よりもさっぱりとした淡い光が感じられる内容。
それは表紙イラストの雰囲気にも現れているみたいに感じますね。
作品集ということで個別にざっくりと感想を書いていきます。
●「アンの庭」
アンドロイドだって夢を見る。
家族を失って機械仕掛の体となっている主人と、彼に拾われた欠落品と呼ばれるアンドロイドの女の子の物語。舞台はアンドロイドたちが普通に人間とおなじように心を持った世界。(少なくとも作中ではそう感じられる)
抜け殻となった孤独な主人に、暖かにお世話をするアンドロイド・アン。
けれど塞ぎこんだままの主人は、アンにたいして冷たく接し続けます。
この舞台においては、アンドロイドに対して「人間の真似事」「人間にとって都合がいい存在であり続けろ」といったような、あくまでも人間主体の主従関係であることは示されます。
主人が死んだらその後を追うアンドロイドだって居る。
アンドロイドというモチーフがそもそも好きなのですが、そこから浮かび上がる複雑な人間側の恐怖心だとか欲望だとか、心をもったアンドロイドが何を選択するかとか、この作品にもそれらのロマンはきっちり感じられます。
ストーリーが進むに従い、単なる主従ではなくオンリーワンな関係性に、それこそ『家族』としての温かみが得られていく家庭は熱くさせられます。
主人にしたって、おそらくだけど、廃棄処分寸前であったアンをわざわざ選んだのには
恩を売って、より必要とされる存在として自分を保ちたい欲求があったのか
もしくは孤独となった己の境遇が、廃棄処分とされるアンに重なったのか
いろいろと考えてみると楽しいですね。世界はまだ冷たい。けれど巡り巡っては彼はアンに救われた。
恋愛というより、家族モノ的要素も感じます。あとアンドロイドロマン。素敵。
アンドロイドだって夢を見る。あなたと一緒に泣いて笑って暮らす夢。
●「二人で明けて」
ボーイズラブ・・・とは言えかなりあっさり。まあね、これ単行本の編集百合姫ッスよ。
願わくばもっとディープに主人公らの気持ちを爆発させた様子も見てみたかった。
主人公の理想と現実が交じり合う構成も、より味わい深さを引き出す短編。
2編に分けて描写することで読者的にはグッと読みやすくなってます。
東京から越してきたクールな少年と、教室の隅でイラストをかく引っ込み思案な少年。
それぞれは作品内でお互いを慮った発言、モノローグを連発してくれるので、エンジンがあったまってきたところで発射される強烈な刹那的・セツナ的クライマックスの破壊力もマシマシである。
理想の世界を押し付けて、けれど臆病に手を離して、なのに今だって君を想う。
そうそう。後編を読んでから、彼のその「理想の世界」の体現である前編を読むと
さらにさらに感情が昂るので二度読み絶対だ。
世界は優しくないけれど、彼と彼をつなぐような神様を悪戯を予感させて、物語は幕を閉じるわけだ。
●「彼女の破片」
個人的には突き刺さるセンチメンタル度ナンバーワンの作品。傑作だ・・・!
『気持ち悪い』
それは誰の言葉だったか。開始3ページ目にして手向けられた、少女への嫌悪をめぐる物語。
構成もキャラクターの言動、演出、えぐるモノローグどれも完璧と言える完成度なので
なんかもうぐだぐだ感想を書くのもアホらしいなって思ってしまう。みんな読もう。
ふたりの女の子とひとりの男の子が複雑に絡みあった、奇妙かつ切なすぎる関係性にメロメロです。
さらりと読ませるタッチなのに内容はドロッドロに人間ドラマ。けれど青春。
どんな気持ちのうえでだって、どんな覚悟のうえでだって、必要として必要とされて寄り添えるならばそれでいいのではないだろうか。けれどこのエンディングは、彼女たちにも読者にも未来への覚悟を要求する。甘酸っぱいの一言では済まされない、傷つける覚悟は、傷つけられる覚悟はあるかと問うている。
ラスト3ページ、振りかざした手でその薄いガラスを砕くことはできたのだろうか。
あまりにも不格好、あまりにも拙い。だからとてもとても切実。
ヒリヒリとした痛ましさが胸に食い込んできて、窒息しそうになる。
大好きです。この短編。
コミックス最初のカラー口絵もこの作品のイラストなのですが、
微笑み寄り添う女の子ふたりを、優しく守るように包む男の掌。カッコよすぎる。
ガラスを砕かずとも、もしかしたら、その隔たりがふたりを安心させることもあるのかもしれない。
●「雨」「Aftrer the Fuchsia」
ラストを飾るのはポップなラブコメディー。
WEBで公開されたものと、単行本書き下ろしの2作で構成。
素直になりきれない魔法使いの女の子の、不器用なばかりの魔法使いの男の子の、
揃いも揃って歩み寄るのがヘタクソなくせに輝き眩しい恋模様。
すなおな気持ちで「カァ~~~っ!」と戸っ子テンションでニヤニヤしてしまった。
ヘヴィな「彼女の破片」の空気をいい意味で断ち切って、コミックスとしての雰囲気を支配している感じがある。
そして本編よりも未来を描いたかのようなこのカバーイラストの
つなぎあわせた手からあふれる花々が、卑怯なくらいに笑顔にさせてくれるのだ。
魔法のような恋があるなら、恋のような魔法があってもいい。それこそ掌から溢れるほどの幸せが。
作品で花が出てきたらとりあえず花言葉をしらべるマンなので「Fuchsia(フクシア」で調べてみた。http://hanakotoba-labo.com/28hu-hukusia.htm ウム。予感がする。
そんな短編集。かなりレベルの高い単行本です。絵もとにかくかわいいのに、ふと冷めたような表情をしたときのキャラクターたちの纏う空気も魅力的。
俺のコミティアヂカラがもりもりと膨れ上がったわけですよ。
嬉しいことに今年にもう一冊出るかもと作者さんも言ってる。今後も勢力的に描いてほしいなぁ・・!
『あの子に優しい世界がいい』・・・・・・・・・★★★★
あおのなち先生の単行本は今後出たら迷わず買えそう、ってくらいお気に入り。
いびつで微弱な心の振動が、ページから伝わってくるような表現力が凄い。特に「彼女の破片」。
[漫画]僕らは願う者なのだ。『惡の華』11巻
最終巻の更新するまでに時間かかってすいません。ネタバレ注意記事です。
僕はうれしい 仲村さんが消えないでいてくれて
絶望し、この世は汚いと何度も何度も言ってきた仲村さんが、世界を綺麗と言った瞬間がかつてあった。
世界でたったひとりぼっちだった仲村は、春日と契約を交わし、ともにすべてを終わらせる覚悟で刃を手にした。仲村のそこまで駆り立てたのも、春日をそこまで駆り立てたのも、お互いの存在があったから。
この気持ちを少しでも分かり合える誰かがいてくれる。その歓喜は彼らを救い、そして破滅へと追いやった。人生を壊してしまった。
誰かに心をゆるすことができた瞬間というのはきっと輝くものだし、心の闇から沸き上がる強烈な絶望を抱えていたって、浄化はされなくとも癒やされてしまう。仲村さんは春日に共鳴して、たとえあんな形であっても、一時の幸福を得ていたように感じる。
仲村と春日を結びつけた感情は、同族意識と興味とかすかな恋心が交じり合った、憐れみだったのかなと思う。
互いが互いにとっての唯一無二の存在となり、少女にとっては世界の美しさを感じるスイッチとなる。
そう考えるとむしろ、春日にとっての仲村さんより、仲村さんにとっての春日の方が、その存在価値は大きかったのかもしれない。
けれど仲村さんは自ら手を離した。祭りの夜に、一方的に遮断した。
2人は世界を変えられなかった。大人になった。そして再び巡りあった。
きっと最初で最後の再会が、この最終巻には全力で描かれている。
そんなわけで惡の華、最終巻となる11巻の感想です。
そもそも春日と仲村さんは恋愛感情があったのかと。いやそれはねーよと思うんですが、けれど2人の関係について考えていた時、やっぱり恋という言葉が欲しくなったんだよな。だからもう、これは色々と、そういう風にこじつけたいための記事かも知れません。
過去の惡の華の感想記事。
クソムシたちが再び蠢く… 『悪の華』4巻
背徳と情欲で暴走する少年少女に目が離せない!『惡の華』5巻
思春期の大暴走…もう後戻りはできない!『惡の華』6巻
その目に焼き付けてくれよ、僕らの”惡”を。『惡の華』7巻
怯える幽霊と忘れられない華の影。『惡の華』8巻
Reborn.『惡の華』9巻
She was beautiful.『惡の華』10巻
巡りあったのは海辺の町。10巻の感想で書いたように、仲村さんと「水」はなにか強いつながりを感じます。だから出会った山の町から抜けだして、ふたり行き着いた再会の場所が海というのも意味があるように思う。
仲村さんが発する言葉はさりげなくそして軽やかで、なのに読者としてはすさまじい緊張を持ってそれを受け止めてしまう。春日にとっても常磐さんにとってもきっとそうだった。この場面の張り詰めた空気は、思わず読んでいて息苦しくなった。むしろ息をとめつつ読んでいた感じ。
切実な感情を持って挑みかかる春日をかわすように飄々とした仲村さんの態度は、それはそれでなにか恐ろしい。憑き物がおちたような、もう成仏寸前(?)というか。
「あの時」のことを春日は尋ねた。もうずっと聞きたかった事を。
けれど仲村さんは応えないまま、距離を縮めようとしないまま、ただ空を指さしこう言うのだ。
「もうじき日が沈む この町は海の中に日が沈むの それでまたあっちの海から日が昇る ず―――っと ず―――――っと ぐるぐるぐるぐる キレイ…でしょ?」
澄んだ表情でそんなことを言うものだから、春日くんだってそりゃ怖い顔になっちゃうよ。
海に日が沈む。かつて彼らがいた町では、太陽は山に隠れるように沈んだ。
あの頃と今では、一日のはじまりとおわりすら違う。
仲村さんは海に救われている……となるとやっぱり山田舎isクソ。
春日がちゃんと怒ってくれて良かった。彼女をむりやり振り向かせてくれて、良かったなぁ!
無理やり倒して引きずり込んで、一緒に海の中で汚れてしまう。
衝動的なようで、予め決められていた儀式めいたような感覚でしたね、このシーン。だってこれくらいやってくれなきゃ、終われないじゃん。
このとき春日がちゃんと常磐さんを掴んで引き込んだのも素敵だった。
遠慮なく、自分の人生に彼女を関わらせることを選んだと言える。
こういう決断力と勇気はかつてから春日に備わっていたけれど、常磐さんとの関係においてはどれもポジティブな意味を持つ行動につながっているのがいいよなぁ。感情に振り回され暴走するだけではない。もちろん刹那的な感情の爆発がその根っこには当然あるのだけれど。
仲村さんとの物語では、彼のその素質は、破滅しかつかむことが出来なかった。
そのことを考えるといかに常盤さんとの関係が彼の心を上向かせているのかと、改めて嬉しくなってしまう。
「よかったね そうやってみんなが行く道を選んだんだね」
という仲村さんの言葉が印象に残る。そのあと仲村さん自身はどうなのかと尋ねられ、彼女は白目を剥く(本当に)。そしてそれに返事をすることなく立ち去ろうとする。
道を踏み外したかつてのこと、そして今なお「普通」ではないことは今の彼女にとって強い意味を持っていて、それに縛られ続けているように感じる。
(彼女の開放の可能性が少しだけかいま見えるのは、作中ではもう少し先の第56話)
だからこそ、「ふつうにんげん」という言葉を春日に投げかけた時の彼女がとても好きです。
それがお別れの言葉であり、2人を別つ大切な響きを宿した呪いの言葉でもある。
これ以上ないほど愛情深く、決定的な、さよならの挨拶。読めてよかった……。
春日のなかに仲村さんは永遠に消えないままだろうけれど、きっともう会えないんだなぁ。
ああ。あの見開きの笑顔を見てしまったら、もう何も言えないくらいに思っていたけれど・・・
感想として吐き出そうとすると、結構いろいろ言葉はでてくるな・・・。
この作品のクライマックスはこの海辺のシーンであり
これ以降、作品はじっくりとエピローグに突入していきます。
そういえば薄々分かっていたことだけど、仲村さんのお母さん、いい人そうでよかった。お父さんが彼女のことをボロクソ言っていたことが思い出されますね。いかにあの親父が責任転嫁していただけだったのかと。
そして雪崩れ込むエピローグ大学生編!!そしてもっと未来の光景へ。
ウーーーオォォ!多くは語らないけど「ブチ殺すぞ」って感じですね。うーん。春日くん幸せそうだぞ。
みんな、思春期という地獄をくぐり抜けていく。
あんなに抉らせていたあの娘も、あんなに孤独だったあの人も、あんなに絶望していた僕も
みんな「かつて思春期に苛まれた少年少女」になっていく。
第56話なんかは奇妙な、不気味な浮遊感に襲われた。異世界に迷い込んだような…事実そのとおりの心象世界が展開される中で、彼ら彼女らの未来の断片が示されていく。
ページの散り続ける惡の華のカケラの存在感に不穏なものを感じるものの
それぞれの未来は、きちんと前を向いた幸福のための歩みだった。
決して破滅のまま終わらない、そこからの再生にまで踏み込んだ作品となってくれたことを嬉しく思う。
(いやこれは・・・という解釈については後述)
成長した春日が言った詩集「惡の華」に対しての言葉は、照れ隠しというより達観した、素直な成長を感じさせられるものだった。なんだか寂しい。
そして仲村さんは。佐伯さんは。・・・ここらへんは読んでもらいたい所です。
春日は執筆に取り憑かれる。
仕事でも趣味でもなくそれが天命かのように、原稿用紙に一心不乱になにかを書き付ける。
かすかに読むことができる文面から予想するに、春日は自分の少年時代を文字に書き起こしている、のかなと思う。もしくは過去を題材とした創作物。押見修造先生が、この「惡の華」を描いたと同じような構図で。この最終巻の最後の作者コメントも、方眼用紙に書かれた肉筆文字でした。
その第55話の冒頭には1ページまるまる使って大きく「悪の華」の刻まれたページがあります。作品名は「惡の華」なので「アク」の表記で区別されているのは、何らかの意図がある演出なのだろうとは思う。
作品の構造的に反則だろうとは思うけれどひとつあり得そうな考えとしては、春日が一心不乱に書いているその作品は、この「悪の華」というタイトルで、第55話以降の内容には彼の創作が入り交じっているのでは、ということ。
そういう可能性があるなと思うだけで、それ以上もそれ以下でもありませんが・・・。
「惡の華」の後期は特にこういった暗示的な描写が多くて、読み取る面白さはありましたが答えを用意してくれてはいないので、あとは読者がどう感じどう解釈するかですね。
第56話、パンツ一丁で目覚める春日。ここで読者は「なーんだ夢だったのか」と思わされてしまう。
描かれた彼ら彼女らの未来を、春日が見た夢オチとして受け止めてもいいけど、でも俺はできれば本当の未来として受け止めたいな。
そうでなくてもあの光景が本当になってくれればいい。春日が執筆しようとしている物語の中で、春日も仲村さんも佐伯さんも常磐さんも幸福となってくれてもいい。
虚像と現実の境界な曖昧な描かれ方をしているからこそ、信じたい。
この56話、タイトルもまた最高なんですよ。噛みしめる。
「僕らは願う者なのだ」。
最終話の話。
仲村はかつて春日に救われようとしていたし、救われたがっていた。いや救われていたのかもしれない。祭りの直前、あの日、世界に美しさを見いだせるくらいには。けれど彼女を救い癒やしたのは、春日ではなかった。
春日のいない、静かな日々が彼女を優しく癒やした。
中学時代にあれだけのことをしでかして、町を出たらすぐに心穏やかな日々に・・・なんてそんなことありないし、絶対に彼女なりの強烈な葛藤とか苦痛を乗り越えて、いまの平穏にたどり着いている。それは間違いない。
けれど今の仲村さんはそんなことを春日には告げなかった。
それでいい。そうでなきゃ2人はお別れできない。そして今、彼女はかつての世界から抜け落ちて、綺麗な世界にいる。
最終話。
最終話は原点に立ち返り、思春期の地獄に時間は巻き戻る。世界にたったひとりぼっちだった頃のこと。けれどなんだか気になる人が出来た時のこと。世界が少しだけ綺麗に見えた時のこと。
先にも書きましたが、春日と仲村を結びつけた感情は恋心のようなものだったと自分は思うけれど、それは思春期にありがちかもしれない、自分の近しいものを持っている人の同族意識のようなものが大半だったようにも思う。けれどきっかけはそうであれ、これだけ1人の人間に、心も人生もかき乱されてしまったら、それはもう恋を超えたものになるのかなとも思う。
ここで示されているのは仲村さんにとっての「救い」の見方のようなものでもある。
春日はかつて仲村さんを救いたいと言っていたけれど
実はもう、彼女は彼に救われていたのだと。
まるで最初からすべてひっくり返されたかのような最終話だったのです。
第一話のリフレイン。視点を仲村さんによるものに切り替えたこの最終話。
ゆがんだ視界は晴れて、今なら君の顔だってよく見えるのだ。
この最終話に関しては、雑誌掲載時のことも書いておきます。
これは雑誌での演出が、本当に素晴らしく、内容に寄り添うものだったから。
雑誌掲載時、この最終回は一部カラーページになっていたのです。
コミックス収録にあたってこのカラーはモノクロに変わってしまったのですが
このカラーの使い方は個人的にとても好きで、最終話の余韻をより深いものにしてくれたナイス演出だったので、モノクロ収録になってかなりガッカリしています・・・。
空の色。仲村さんの髪。どちらにも同じ、強烈な赤が乗せられている。
すべての始まりのあの日。罪を背負った日。出会ってしまった日。
あの日の空はどんな色だったろう。こんなふうに君の髪と同じ、真っ赤な色をしていたのか。
あの日、空は君の色をしていたんだ。・・・そんななんともにくい演出が光る。
単なる第一話への回帰じゃない、新しい視界が開かれたような衝撃がありました。
これは是非、コミックスでもカラー収録して欲しかったなぁ・・・。
面白いのが仲村さん視点となった時、クラスメートの女子(と思わしき黒い怪物)の胸だけ、他の身体の部位とは違ってグリグリと乱雑に書きなぐったように輪郭がぼやけている点。
こんなふうに女としてのパーツになんらかの(おそらく負の)強い感情を抱くのは思春期の女の子っぽくてかわいいなーと、思春期の女の子のことなんて全然知らない俺はほくそ笑む。
8巻、常磐の書いた小説を読んだ春日が「この主人公、これは僕だ」と涙を流しました。
そういう何かが、この作品にはあった。
「この漫画を、今、思春期に苛まれているすべての少年少女、
かつて思春期に苛まれたすべてのかつての少年少女に捧げます。」
作者は毎巻、こんな言葉を最初に読者に投げかけています。
「この主人公は僕だ」と、そんなエゴな感想を抱ける程に、常磐さんのノートに書かれた断片の小説に感動した春日のように、「惡の華」に心酔した自分もいた。
「惡の華」は違う世界に踏み出していった。
「惡の華」は思春期の只中と、そこから脱出するための日々と、かつてを回想する未来が描かれた。
この作品を楽しめたのは、思い返してみれば、恥ずかしいことに、「これは俺のことだ」と思い込んでしまうような要素がたくさんあったからなんだろうと思う。
そんな恥ずかしいことをこうして言葉にできてしまうのも、この作品の魔力でもある。
示された彼ら彼女らの未来が本物なのかどうか。どの道、彼らは物語の中で勝手に生きていくだろうし、俺はもう願うことしかできない。思春期に翻弄された、こんなにも間違えてしまった、こんなにも愛おしい彼らの行末に、第54話の夜空に浮かんだひとかけら程の星が光を落としてくれていたらいい。
「惡の華」という作品を読めて嬉しかったです。ありがとうございました。
『惡の華』11巻(最終巻) ・・・・・・・・・★★★★☆
救われ難い彼らの救いの未来。「僕らは願う者なのだ」!
惡の華(11)<完> (講談社コミックス) (2014/06/09) 押見 修造 商品詳細を見る |
僕はうれしい 仲村さんが消えないでいてくれて
絶望し、この世は汚いと何度も何度も言ってきた仲村さんが、世界を綺麗と言った瞬間がかつてあった。
世界でたったひとりぼっちだった仲村は、春日と契約を交わし、ともにすべてを終わらせる覚悟で刃を手にした。仲村のそこまで駆り立てたのも、春日をそこまで駆り立てたのも、お互いの存在があったから。
この気持ちを少しでも分かり合える誰かがいてくれる。その歓喜は彼らを救い、そして破滅へと追いやった。人生を壊してしまった。
誰かに心をゆるすことができた瞬間というのはきっと輝くものだし、心の闇から沸き上がる強烈な絶望を抱えていたって、浄化はされなくとも癒やされてしまう。仲村さんは春日に共鳴して、たとえあんな形であっても、一時の幸福を得ていたように感じる。
仲村と春日を結びつけた感情は、同族意識と興味とかすかな恋心が交じり合った、憐れみだったのかなと思う。
互いが互いにとっての唯一無二の存在となり、少女にとっては世界の美しさを感じるスイッチとなる。
そう考えるとむしろ、春日にとっての仲村さんより、仲村さんにとっての春日の方が、その存在価値は大きかったのかもしれない。
けれど仲村さんは自ら手を離した。祭りの夜に、一方的に遮断した。
2人は世界を変えられなかった。大人になった。そして再び巡りあった。
きっと最初で最後の再会が、この最終巻には全力で描かれている。
そんなわけで惡の華、最終巻となる11巻の感想です。
そもそも春日と仲村さんは恋愛感情があったのかと。いやそれはねーよと思うんですが、けれど2人の関係について考えていた時、やっぱり恋という言葉が欲しくなったんだよな。だからもう、これは色々と、そういう風にこじつけたいための記事かも知れません。
過去の惡の華の感想記事。
クソムシたちが再び蠢く… 『悪の華』4巻
背徳と情欲で暴走する少年少女に目が離せない!『惡の華』5巻
思春期の大暴走…もう後戻りはできない!『惡の華』6巻
その目に焼き付けてくれよ、僕らの”惡”を。『惡の華』7巻
怯える幽霊と忘れられない華の影。『惡の華』8巻
Reborn.『惡の華』9巻
She was beautiful.『惡の華』10巻
巡りあったのは海辺の町。10巻の感想で書いたように、仲村さんと「水」はなにか強いつながりを感じます。だから出会った山の町から抜けだして、ふたり行き着いた再会の場所が海というのも意味があるように思う。
仲村さんが発する言葉はさりげなくそして軽やかで、なのに読者としてはすさまじい緊張を持ってそれを受け止めてしまう。春日にとっても常磐さんにとってもきっとそうだった。この場面の張り詰めた空気は、思わず読んでいて息苦しくなった。むしろ息をとめつつ読んでいた感じ。
切実な感情を持って挑みかかる春日をかわすように飄々とした仲村さんの態度は、それはそれでなにか恐ろしい。憑き物がおちたような、もう成仏寸前(?)というか。
「あの時」のことを春日は尋ねた。もうずっと聞きたかった事を。
けれど仲村さんは応えないまま、距離を縮めようとしないまま、ただ空を指さしこう言うのだ。
「もうじき日が沈む この町は海の中に日が沈むの それでまたあっちの海から日が昇る ず―――っと ず―――――っと ぐるぐるぐるぐる キレイ…でしょ?」
澄んだ表情でそんなことを言うものだから、春日くんだってそりゃ怖い顔になっちゃうよ。
海に日が沈む。かつて彼らがいた町では、太陽は山に隠れるように沈んだ。
あの頃と今では、一日のはじまりとおわりすら違う。
仲村さんは海に救われている……となるとやっぱり山田舎isクソ。
春日がちゃんと怒ってくれて良かった。彼女をむりやり振り向かせてくれて、良かったなぁ!
無理やり倒して引きずり込んで、一緒に海の中で汚れてしまう。
衝動的なようで、予め決められていた儀式めいたような感覚でしたね、このシーン。だってこれくらいやってくれなきゃ、終われないじゃん。
このとき春日がちゃんと常磐さんを掴んで引き込んだのも素敵だった。
遠慮なく、自分の人生に彼女を関わらせることを選んだと言える。
こういう決断力と勇気はかつてから春日に備わっていたけれど、常磐さんとの関係においてはどれもポジティブな意味を持つ行動につながっているのがいいよなぁ。感情に振り回され暴走するだけではない。もちろん刹那的な感情の爆発がその根っこには当然あるのだけれど。
仲村さんとの物語では、彼のその素質は、破滅しかつかむことが出来なかった。
そのことを考えるといかに常盤さんとの関係が彼の心を上向かせているのかと、改めて嬉しくなってしまう。
「よかったね そうやってみんなが行く道を選んだんだね」
という仲村さんの言葉が印象に残る。そのあと仲村さん自身はどうなのかと尋ねられ、彼女は白目を剥く(本当に)。そしてそれに返事をすることなく立ち去ろうとする。
道を踏み外したかつてのこと、そして今なお「普通」ではないことは今の彼女にとって強い意味を持っていて、それに縛られ続けているように感じる。
(彼女の開放の可能性が少しだけかいま見えるのは、作中ではもう少し先の第56話)
だからこそ、「ふつうにんげん」という言葉を春日に投げかけた時の彼女がとても好きです。
それがお別れの言葉であり、2人を別つ大切な響きを宿した呪いの言葉でもある。
これ以上ないほど愛情深く、決定的な、さよならの挨拶。読めてよかった……。
春日のなかに仲村さんは永遠に消えないままだろうけれど、きっともう会えないんだなぁ。
ああ。あの見開きの笑顔を見てしまったら、もう何も言えないくらいに思っていたけれど・・・
感想として吐き出そうとすると、結構いろいろ言葉はでてくるな・・・。
この作品のクライマックスはこの海辺のシーンであり
これ以降、作品はじっくりとエピローグに突入していきます。
そういえば薄々分かっていたことだけど、仲村さんのお母さん、いい人そうでよかった。お父さんが彼女のことをボロクソ言っていたことが思い出されますね。いかにあの親父が責任転嫁していただけだったのかと。
そして雪崩れ込むエピローグ大学生編!!そしてもっと未来の光景へ。
ウーーーオォォ!多くは語らないけど「ブチ殺すぞ」って感じですね。うーん。春日くん幸せそうだぞ。
みんな、思春期という地獄をくぐり抜けていく。
あんなに抉らせていたあの娘も、あんなに孤独だったあの人も、あんなに絶望していた僕も
みんな「かつて思春期に苛まれた少年少女」になっていく。
第56話なんかは奇妙な、不気味な浮遊感に襲われた。異世界に迷い込んだような…事実そのとおりの心象世界が展開される中で、彼ら彼女らの未来の断片が示されていく。
ページの散り続ける惡の華のカケラの存在感に不穏なものを感じるものの
それぞれの未来は、きちんと前を向いた幸福のための歩みだった。
決して破滅のまま終わらない、そこからの再生にまで踏み込んだ作品となってくれたことを嬉しく思う。
(いやこれは・・・という解釈については後述)
成長した春日が言った詩集「惡の華」に対しての言葉は、照れ隠しというより達観した、素直な成長を感じさせられるものだった。なんだか寂しい。
そして仲村さんは。佐伯さんは。・・・ここらへんは読んでもらいたい所です。
春日は執筆に取り憑かれる。
仕事でも趣味でもなくそれが天命かのように、原稿用紙に一心不乱になにかを書き付ける。
かすかに読むことができる文面から予想するに、春日は自分の少年時代を文字に書き起こしている、のかなと思う。もしくは過去を題材とした創作物。押見修造先生が、この「惡の華」を描いたと同じような構図で。この最終巻の最後の作者コメントも、方眼用紙に書かれた肉筆文字でした。
その第55話の冒頭には1ページまるまる使って大きく「悪の華」の刻まれたページがあります。作品名は「惡の華」なので「アク」の表記で区別されているのは、何らかの意図がある演出なのだろうとは思う。
作品の構造的に反則だろうとは思うけれどひとつあり得そうな考えとしては、春日が一心不乱に書いているその作品は、この「悪の華」というタイトルで、第55話以降の内容には彼の創作が入り交じっているのでは、ということ。
そういう可能性があるなと思うだけで、それ以上もそれ以下でもありませんが・・・。
「惡の華」の後期は特にこういった暗示的な描写が多くて、読み取る面白さはありましたが答えを用意してくれてはいないので、あとは読者がどう感じどう解釈するかですね。
第56話、パンツ一丁で目覚める春日。ここで読者は「なーんだ夢だったのか」と思わされてしまう。
描かれた彼ら彼女らの未来を、春日が見た夢オチとして受け止めてもいいけど、でも俺はできれば本当の未来として受け止めたいな。
そうでなくてもあの光景が本当になってくれればいい。春日が執筆しようとしている物語の中で、春日も仲村さんも佐伯さんも常磐さんも幸福となってくれてもいい。
虚像と現実の境界な曖昧な描かれ方をしているからこそ、信じたい。
この56話、タイトルもまた最高なんですよ。噛みしめる。
「僕らは願う者なのだ」。
最終話の話。
仲村はかつて春日に救われようとしていたし、救われたがっていた。いや救われていたのかもしれない。祭りの直前、あの日、世界に美しさを見いだせるくらいには。けれど彼女を救い癒やしたのは、春日ではなかった。
春日のいない、静かな日々が彼女を優しく癒やした。
中学時代にあれだけのことをしでかして、町を出たらすぐに心穏やかな日々に・・・なんてそんなことありないし、絶対に彼女なりの強烈な葛藤とか苦痛を乗り越えて、いまの平穏にたどり着いている。それは間違いない。
けれど今の仲村さんはそんなことを春日には告げなかった。
それでいい。そうでなきゃ2人はお別れできない。そして今、彼女はかつての世界から抜け落ちて、綺麗な世界にいる。
最終話。
最終話は原点に立ち返り、思春期の地獄に時間は巻き戻る。世界にたったひとりぼっちだった頃のこと。けれどなんだか気になる人が出来た時のこと。世界が少しだけ綺麗に見えた時のこと。
先にも書きましたが、春日と仲村を結びつけた感情は恋心のようなものだったと自分は思うけれど、それは思春期にありがちかもしれない、自分の近しいものを持っている人の同族意識のようなものが大半だったようにも思う。けれどきっかけはそうであれ、これだけ1人の人間に、心も人生もかき乱されてしまったら、それはもう恋を超えたものになるのかなとも思う。
ここで示されているのは仲村さんにとっての「救い」の見方のようなものでもある。
春日はかつて仲村さんを救いたいと言っていたけれど
実はもう、彼女は彼に救われていたのだと。
まるで最初からすべてひっくり返されたかのような最終話だったのです。
第一話のリフレイン。視点を仲村さんによるものに切り替えたこの最終話。
ゆがんだ視界は晴れて、今なら君の顔だってよく見えるのだ。
この最終話に関しては、雑誌掲載時のことも書いておきます。
これは雑誌での演出が、本当に素晴らしく、内容に寄り添うものだったから。
雑誌掲載時、この最終回は一部カラーページになっていたのです。
コミックス収録にあたってこのカラーはモノクロに変わってしまったのですが
このカラーの使い方は個人的にとても好きで、最終話の余韻をより深いものにしてくれたナイス演出だったので、モノクロ収録になってかなりガッカリしています・・・。
空の色。仲村さんの髪。どちらにも同じ、強烈な赤が乗せられている。
すべての始まりのあの日。罪を背負った日。出会ってしまった日。
あの日の空はどんな色だったろう。こんなふうに君の髪と同じ、真っ赤な色をしていたのか。
あの日、空は君の色をしていたんだ。・・・そんななんともにくい演出が光る。
単なる第一話への回帰じゃない、新しい視界が開かれたような衝撃がありました。
これは是非、コミックスでもカラー収録して欲しかったなぁ・・・。
面白いのが仲村さん視点となった時、クラスメートの女子(と思わしき黒い怪物)の胸だけ、他の身体の部位とは違ってグリグリと乱雑に書きなぐったように輪郭がぼやけている点。
こんなふうに女としてのパーツになんらかの(おそらく負の)強い感情を抱くのは思春期の女の子っぽくてかわいいなーと、思春期の女の子のことなんて全然知らない俺はほくそ笑む。
8巻、常磐の書いた小説を読んだ春日が「この主人公、これは僕だ」と涙を流しました。
そういう何かが、この作品にはあった。
「この漫画を、今、思春期に苛まれているすべての少年少女、
かつて思春期に苛まれたすべてのかつての少年少女に捧げます。」
作者は毎巻、こんな言葉を最初に読者に投げかけています。
「この主人公は僕だ」と、そんなエゴな感想を抱ける程に、常磐さんのノートに書かれた断片の小説に感動した春日のように、「惡の華」に心酔した自分もいた。
「惡の華」は違う世界に踏み出していった。
「惡の華」は思春期の只中と、そこから脱出するための日々と、かつてを回想する未来が描かれた。
この作品を楽しめたのは、思い返してみれば、恥ずかしいことに、「これは俺のことだ」と思い込んでしまうような要素がたくさんあったからなんだろうと思う。
そんな恥ずかしいことをこうして言葉にできてしまうのも、この作品の魔力でもある。
示された彼ら彼女らの未来が本物なのかどうか。どの道、彼らは物語の中で勝手に生きていくだろうし、俺はもう願うことしかできない。思春期に翻弄された、こんなにも間違えてしまった、こんなにも愛おしい彼らの行末に、第54話の夜空に浮かんだひとかけら程の星が光を落としてくれていたらいい。
「惡の華」という作品を読めて嬉しかったです。ありがとうございました。
『惡の華』11巻(最終巻) ・・・・・・・・・★★★★☆
救われ難い彼らの救いの未来。「僕らは願う者なのだ」!
[漫画]She was beautiful.『惡の華』10巻
記事タイトルはまた、syrup16gの楽曲より。
おかえり 佐和
『惡の華』10巻の感想。もう11巻が出ましたが、10巻です。
表紙がかもすオーラが凄まじい。美しく少し不気味で、なんにせよたまりません。焼ける空を背に、こちらを見つめる黒髪の少女。
睨んでいるにも見えるし、すこし、涙ぐんでいるようにも、見えなくない。
笑っているようも、表情はないようにも見える。影が覆い隠す。
9巻は比較的幸福度の高い、ポジティブな内容でした。10巻は一転して胃がいたくなるような、過去と向き合うためのストーリーが展開します。
祖父が危篤との知らせが届き、春日一家は3年ぶりに帰ってきた。
呪縛が息づく故郷へ。
前巻→Reborn.『惡の華』9巻
●罪を背負え
帰郷した春日を待っていたのは、まず親族らの冷たい視線。
そして直接投げかけられる、春日の罪を咎める声。
それはなんら理不尽なものではなく当然のことで、春日がしでかした事の大きさはそれだけの影響力があったのだ。親戚だというだけで、彼らは多くの悔しさを味わったことだったろう。それこそが理不尽であり、春日にはその罪がある。責任がある。
この帰郷で改めてわかったことは、春日に対する現実の冷たさ(当たり前ではあるがこれまで実感がわかなかった)。
そして春日には、それを背負うだけの覚悟がすでに備わっていたということ。
自己嫌悪や自責の念で押しつぶされたりしない。受け止めて、現実で生きていこうという姿勢だ。
個人的にはこの帰郷したエピソードの中で、地味にかつ強力に心が傷んだのは、春日の両親の疲れた表情……。
事件をおこした本人だけではなく、曝され、貶されたのは、両親だって同じだろう。
この両親が背負った後悔や痛みなんてのは、春日が味わっているものとは別種のものだ。どちらが優っているかではなく、まるで別。子供と保護者では、その立ち位置は違う。
「惡の華」はこうした、春日の両親のドラマにも目を向けてくれているのがいいよなぁ。
罪をおかした人間を取り囲む環境の情報量が多く、それで更に胃が痛くなるんだよなぁ(白目)
でも、春日をひとりで木下に会いにいかせたこの両親は、春日をもう信じることができていた。そういった、家族の絆の再生なんかも垣間見ることが出来た。
傷つくだけではない優しさも伴ったエピソードだと思う。
●木下亜衣の苦悩
惡の華という物語において木下という少女は、サブキャラの1人だった。
それでも中学生編の登場人物としては存在感が大きいほうだったし、春日や佐伯や仲村といったメイン級には劣るものの、貴重なポジションにした少女だと思う。
あと、いたって普通の娘っぽくて、ちょっと可愛かったよね。
ところがこの10巻で木下さんの存在価値は、個人的には爆上がりである。
そう、彼女のまた思春期の犠牲者であり、今なお苦悩を続ける放浪者であり、現実とそして自分自身に深く傷つけられていたのだ…!
彼女は今もなお、取り残されている。このしがらみだらけの田舎の町で、囚われている。
今いる場所が彼女を絶望させ続けているのに、逃げることができない。みんな、逃げるようにこの町から消えてしまったのに。
春日とは違った方面で、彼女もまたこんなふうにボロボロになっていたのか……
このエピソードを読むまで、「あの事件のあと、木下ってどうなったんだろう?」と考えることすらしていなかった自分が恥ずかしい。全部壊れてしまったのは彼女だって同じだったのに。
佐伯さんがいまどうなっているのか、なにも知らない木下に、春日は佐伯さんと再会したこと、「ふつうに幸せ」と言っていたことを伝えた。すると木下さんは号泣してしまう。
この「ふつうに幸せ」という言葉は、トゲがあるようで、やはり素敵なことなのだろうと思う。特別なことは何もない平凡な人生へと、彼女は帰っていった。
憎んでさえいた春日に、涙を見せるという最大級の失態をおかし、さらに手を重ねて慰められた。木下にとって悔しいことだったのかもしれないが、彼女は不思議と素直な表情をしていたように思う。
春日とのこの会話で、彼女はようやく、あの夏を終えることが出来たのかもしれない。
勝手に引きずり込まれて勝手にとりのこされた少女は、二度と会うことはないであろう少年に別れを告げる。
こんな鮮やかな離別。素晴らしいな。胸がギュッとなって、切なくなって、嬉しくなってしまうだろ。
●常磐さんの小説と彼女の覚悟
常盤さんが小説を完成させたのは、春日を励ますためだったのかもしれない。
彼女が小説を書き上げた春日が帰郷をしていた間のことで、このタイミングにしたのは図ってか図らずしてか、ともかく結果的に、彼女は春日に小説を、特別な意味合いで渡した。
家に上がった時、「両親はいない」と告げる。ふたりきりの部屋で、同じベッドに腰掛ける。
セックスへの雪崩れを思わせる前置きで行われたのが、「完成した小説を渡す」という儀式だったのが面白い。ふたりにとってその行為はそれだけの重みがあったのかもしれない。
もちろん常磐さんとしては、本当に関係が進むことを意識していたという匂いも感じられる。
思わず下世話な話をしたくなるけど今回は真面目な更新だから控えるよ(でも画像は貼りたかった)
こんな表情で、自分の分身たる創作物を差し出す少女。アツいぜ。これはな。アツいのさ。
春日のために、最初の読者のために、書いた小説。
けれど完成した小説を、春日は読まなかった。
そして君に言わなくりゃいけない事があると……中学時代の出来事をすべて伝えた。
で、このセリフである。
僕はまだ 仲村さんから離れられないでいる
好きとか嫌いとかじゃない 抱きしめたいのか殺されたいのかわからない
もう一度会いたい
仲村さんに会いたい きみと…生きるために
あーあ言っちゃったよ!
わかってはいたけれどこのタイミングは最悪である。エンジェル常磐もそりゃご立腹よ。
けれどここで素知らぬ顔で彼女の渾身の物語を読む男じゃなくてよかった。潔癖な春日でよかった。そうしてしまうこと彼自身が一番忌避したから、彼はここですべてを打ち明けたのだろう。
彼女にだけはせめて、まっすぐ向き合いたいと願っているのだ。
怒って完成原稿をビリビリに破り捨ててしまった常磐さん。春日のその言葉で破り捨ててしまうということは、どれだけの想いで春日のためにこの作品を書き上げたのか、ってことだ。
そして、この一連に流れにおける常磐さんの表情は、一瞬たりとも見逃せない!
緊張、混乱、覚悟。そのほかにもいろいろ混ざっても、やはり彼女は優しく、格好いい。芯のある人間だ。
それでも受け止めきれるかどうかの分岐点で、キスを誘い、そして春日からキスをすると、彼女は決意を固めた。
春日の思春期のエンディングに、自らも巻き添えになってやろうと。道連れになって、見届けてやろうと。そういう覚悟だ。
●仲村さんと水
春日と常磐が、仲村さんの現在の住所を訪ねようとするシーンです。
その移動中を描いたこの見開きでは、『水滴』が印象的に存在しています。
そして10巻のラスト、仲村さんと再会した瞬間にも、真っ暗な闇に水滴がひとつ、ポツリと落ちるシーンがあります。
つまり水とは、きっと仲村さんとなんらかの関係があるアイテムなのでしょう。
仲村さんと「水」を結びつける、なにか決定的なシーンはなかっただろうか。
そう思って単行本を読み返してみたら、あった。個人的にはこれがアンサー。
(6巻150,151P)
涙。
きっと春日にとって、仲村さんはずっと「泣いている女の子」だったのだ。
だから、助けてあげたかった。
仲村さんを救いたいと春日は言っていました。助けたい少女の象徴が涙だとすれば、個人的には腑に落ちます。
今でも春日が仲村さんに会いたがったのは、恋愛感情ではなく、ただ、やり残してしまった後悔を感じていたのだと思う。
仲村さんをまた1人にしてしまった。何も出来なかった。救えなかったのだと、自責の念に押しつぶされていた。
つまり仲村さんに会いに行く道程で水滴がイメージとして描かれていたのは
涙こそが春日にとって仲村さんの象徴であるということと、
この道中に仲村さんとの日々を思い返していることと、
仲村さんにたしかに近づいていっているという距離的な描写だった、と思うわけです。
仲村さんの現在の住所であり、春日と再会した場所は「食堂 水越」。ここにも「水」が現れていることも、ひとつのポイントとしてメモしておきます。
少年は美しかった少女を思い出していた。その涙を思い出していた。
いまの彼女は、どうだろうか。あの時の言葉を今日も噛み砕いて、今日こそ、会いに行く。
さて、さきほどの画像、6巻にて仲村が涙を流しているシーン。
巻き戻って読んでみると、この直前に春日が「キミを救いたい」と言っていたのです。その言葉に激怒し「ふざけるな」と吐き捨てバットで襲いかかった仲村。けれどその目には涙が―――という流れだった。
今にして思えば、 …この言葉は仲村さんを傷つけてしまうかもしれないけれど
仲村さんは、救われたがっていた。
春日に救われることを望んでいた、と改めて思う。
その感情はきっと恋ではない。
恋であったとして、きっとすぐに消えてしまう雷のような刹那の光で、きっと永遠には残らない。
けれどその美しい一瞬が、思春期にはいくつかあって、死ぬまで人間は抱えて生きていく。
かつて2人は一緒にいた。
今にもその身を食い破りそうな怒りや寂しさや恐怖を、共有し、抱きしめあい、かつて一緒に破滅しようとした。
蒸し暑いあの夏の日々に、腐敗した世界の中でたしかに色づいた、小さな愛があったのかもしれない。
今は違う。2人はもう、その世界にはいない。
一生まじわることのない人間として、違う人生を歩んでいく。
しかし春日は再会することを選んだ。
過去に決着をつけるために。初恋を終わらせるために。これからの人生のために。大切な人と生きていくために。
11巻の感想に続くとします。
『惡の華』10巻 ・・・・・・・・・★★★★★
あらゆる面で最高の緊迫感と面白さ。灰色なこの世界で、その罪を償え。
最終巻。発売中です。また近いうちに感想を書こうと思います。
惡の華(10) (少年マガジンコミックス) (2014/01/09) 押見 修造 商品詳細を見る |
おかえり 佐和
『惡の華』10巻の感想。もう11巻が出ましたが、10巻です。
表紙がかもすオーラが凄まじい。美しく少し不気味で、なんにせよたまりません。焼ける空を背に、こちらを見つめる黒髪の少女。
睨んでいるにも見えるし、すこし、涙ぐんでいるようにも、見えなくない。
笑っているようも、表情はないようにも見える。影が覆い隠す。
9巻は比較的幸福度の高い、ポジティブな内容でした。10巻は一転して胃がいたくなるような、過去と向き合うためのストーリーが展開します。
祖父が危篤との知らせが届き、春日一家は3年ぶりに帰ってきた。
呪縛が息づく故郷へ。
前巻→Reborn.『惡の華』9巻
●罪を背負え
帰郷した春日を待っていたのは、まず親族らの冷たい視線。
そして直接投げかけられる、春日の罪を咎める声。
それはなんら理不尽なものではなく当然のことで、春日がしでかした事の大きさはそれだけの影響力があったのだ。親戚だというだけで、彼らは多くの悔しさを味わったことだったろう。それこそが理不尽であり、春日にはその罪がある。責任がある。
この帰郷で改めてわかったことは、春日に対する現実の冷たさ(当たり前ではあるがこれまで実感がわかなかった)。
そして春日には、それを背負うだけの覚悟がすでに備わっていたということ。
自己嫌悪や自責の念で押しつぶされたりしない。受け止めて、現実で生きていこうという姿勢だ。
個人的にはこの帰郷したエピソードの中で、地味にかつ強力に心が傷んだのは、春日の両親の疲れた表情……。
事件をおこした本人だけではなく、曝され、貶されたのは、両親だって同じだろう。
この両親が背負った後悔や痛みなんてのは、春日が味わっているものとは別種のものだ。どちらが優っているかではなく、まるで別。子供と保護者では、その立ち位置は違う。
「惡の華」はこうした、春日の両親のドラマにも目を向けてくれているのがいいよなぁ。
罪をおかした人間を取り囲む環境の情報量が多く、それで更に胃が痛くなるんだよなぁ(白目)
でも、春日をひとりで木下に会いにいかせたこの両親は、春日をもう信じることができていた。そういった、家族の絆の再生なんかも垣間見ることが出来た。
傷つくだけではない優しさも伴ったエピソードだと思う。
●木下亜衣の苦悩
惡の華という物語において木下という少女は、サブキャラの1人だった。
それでも中学生編の登場人物としては存在感が大きいほうだったし、春日や佐伯や仲村といったメイン級には劣るものの、貴重なポジションにした少女だと思う。
あと、いたって普通の娘っぽくて、ちょっと可愛かったよね。
ところがこの10巻で木下さんの存在価値は、個人的には爆上がりである。
そう、彼女のまた思春期の犠牲者であり、今なお苦悩を続ける放浪者であり、現実とそして自分自身に深く傷つけられていたのだ…!
彼女は今もなお、取り残されている。このしがらみだらけの田舎の町で、囚われている。
今いる場所が彼女を絶望させ続けているのに、逃げることができない。みんな、逃げるようにこの町から消えてしまったのに。
春日とは違った方面で、彼女もまたこんなふうにボロボロになっていたのか……
このエピソードを読むまで、「あの事件のあと、木下ってどうなったんだろう?」と考えることすらしていなかった自分が恥ずかしい。全部壊れてしまったのは彼女だって同じだったのに。
佐伯さんがいまどうなっているのか、なにも知らない木下に、春日は佐伯さんと再会したこと、「ふつうに幸せ」と言っていたことを伝えた。すると木下さんは号泣してしまう。
この「ふつうに幸せ」という言葉は、トゲがあるようで、やはり素敵なことなのだろうと思う。特別なことは何もない平凡な人生へと、彼女は帰っていった。
憎んでさえいた春日に、涙を見せるという最大級の失態をおかし、さらに手を重ねて慰められた。木下にとって悔しいことだったのかもしれないが、彼女は不思議と素直な表情をしていたように思う。
春日とのこの会話で、彼女はようやく、あの夏を終えることが出来たのかもしれない。
勝手に引きずり込まれて勝手にとりのこされた少女は、二度と会うことはないであろう少年に別れを告げる。
こんな鮮やかな離別。素晴らしいな。胸がギュッとなって、切なくなって、嬉しくなってしまうだろ。
●常磐さんの小説と彼女の覚悟
常盤さんが小説を完成させたのは、春日を励ますためだったのかもしれない。
彼女が小説を書き上げた春日が帰郷をしていた間のことで、このタイミングにしたのは図ってか図らずしてか、ともかく結果的に、彼女は春日に小説を、特別な意味合いで渡した。
家に上がった時、「両親はいない」と告げる。ふたりきりの部屋で、同じベッドに腰掛ける。
セックスへの雪崩れを思わせる前置きで行われたのが、「完成した小説を渡す」という儀式だったのが面白い。ふたりにとってその行為はそれだけの重みがあったのかもしれない。
もちろん常磐さんとしては、本当に関係が進むことを意識していたという匂いも感じられる。
思わず下世話な話をしたくなるけど今回は真面目な更新だから控えるよ(でも画像は貼りたかった)
こんな表情で、自分の分身たる創作物を差し出す少女。アツいぜ。これはな。アツいのさ。
春日のために、最初の読者のために、書いた小説。
けれど完成した小説を、春日は読まなかった。
そして君に言わなくりゃいけない事があると……中学時代の出来事をすべて伝えた。
で、このセリフである。
僕はまだ 仲村さんから離れられないでいる
好きとか嫌いとかじゃない 抱きしめたいのか殺されたいのかわからない
もう一度会いたい
仲村さんに会いたい きみと…生きるために
あーあ言っちゃったよ!
わかってはいたけれどこのタイミングは最悪である。エンジェル常磐もそりゃご立腹よ。
けれどここで素知らぬ顔で彼女の渾身の物語を読む男じゃなくてよかった。潔癖な春日でよかった。そうしてしまうこと彼自身が一番忌避したから、彼はここですべてを打ち明けたのだろう。
彼女にだけはせめて、まっすぐ向き合いたいと願っているのだ。
怒って完成原稿をビリビリに破り捨ててしまった常磐さん。春日のその言葉で破り捨ててしまうということは、どれだけの想いで春日のためにこの作品を書き上げたのか、ってことだ。
そして、この一連に流れにおける常磐さんの表情は、一瞬たりとも見逃せない!
緊張、混乱、覚悟。そのほかにもいろいろ混ざっても、やはり彼女は優しく、格好いい。芯のある人間だ。
それでも受け止めきれるかどうかの分岐点で、キスを誘い、そして春日からキスをすると、彼女は決意を固めた。
春日の思春期のエンディングに、自らも巻き添えになってやろうと。道連れになって、見届けてやろうと。そういう覚悟だ。
●仲村さんと水
春日と常磐が、仲村さんの現在の住所を訪ねようとするシーンです。
その移動中を描いたこの見開きでは、『水滴』が印象的に存在しています。
そして10巻のラスト、仲村さんと再会した瞬間にも、真っ暗な闇に水滴がひとつ、ポツリと落ちるシーンがあります。
つまり水とは、きっと仲村さんとなんらかの関係があるアイテムなのでしょう。
仲村さんと「水」を結びつける、なにか決定的なシーンはなかっただろうか。
そう思って単行本を読み返してみたら、あった。個人的にはこれがアンサー。
(6巻150,151P)
涙。
きっと春日にとって、仲村さんはずっと「泣いている女の子」だったのだ。
だから、助けてあげたかった。
仲村さんを救いたいと春日は言っていました。助けたい少女の象徴が涙だとすれば、個人的には腑に落ちます。
今でも春日が仲村さんに会いたがったのは、恋愛感情ではなく、ただ、やり残してしまった後悔を感じていたのだと思う。
仲村さんをまた1人にしてしまった。何も出来なかった。救えなかったのだと、自責の念に押しつぶされていた。
つまり仲村さんに会いに行く道程で水滴がイメージとして描かれていたのは
涙こそが春日にとって仲村さんの象徴であるということと、
この道中に仲村さんとの日々を思い返していることと、
仲村さんにたしかに近づいていっているという距離的な描写だった、と思うわけです。
仲村さんの現在の住所であり、春日と再会した場所は「食堂 水越」。ここにも「水」が現れていることも、ひとつのポイントとしてメモしておきます。
少年は美しかった少女を思い出していた。その涙を思い出していた。
いまの彼女は、どうだろうか。あの時の言葉を今日も噛み砕いて、今日こそ、会いに行く。
さて、さきほどの画像、6巻にて仲村が涙を流しているシーン。
巻き戻って読んでみると、この直前に春日が「キミを救いたい」と言っていたのです。その言葉に激怒し「ふざけるな」と吐き捨てバットで襲いかかった仲村。けれどその目には涙が―――という流れだった。
今にして思えば、 …この言葉は仲村さんを傷つけてしまうかもしれないけれど
仲村さんは、救われたがっていた。
春日に救われることを望んでいた、と改めて思う。
その感情はきっと恋ではない。
恋であったとして、きっとすぐに消えてしまう雷のような刹那の光で、きっと永遠には残らない。
けれどその美しい一瞬が、思春期にはいくつかあって、死ぬまで人間は抱えて生きていく。
かつて2人は一緒にいた。
今にもその身を食い破りそうな怒りや寂しさや恐怖を、共有し、抱きしめあい、かつて一緒に破滅しようとした。
蒸し暑いあの夏の日々に、腐敗した世界の中でたしかに色づいた、小さな愛があったのかもしれない。
今は違う。2人はもう、その世界にはいない。
一生まじわることのない人間として、違う人生を歩んでいく。
しかし春日は再会することを選んだ。
過去に決着をつけるために。初恋を終わらせるために。これからの人生のために。大切な人と生きていくために。
11巻の感想に続くとします。
『惡の華』10巻 ・・・・・・・・・★★★★★
あらゆる面で最高の緊迫感と面白さ。灰色なこの世界で、その罪を償え。
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