ソラニン新装版に寄せて 思い出話と第29話のこと
ソラニン 新装版 (ビッグコミックススペシャル) 浅野 いにお 小学館 2017-10-30 売り上げランキング : 73 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ソラニンの新装版が発売されましたのでちょっと書きます。
まぁ落ち着け、おちついて、・・・いやいや、そんな浅野いにおを嫌うなよ。結構、いい漫画描いてるんだよ。とサブカル御用達イジリだってもういい加減風化してほしいくらい。
やっぱり浅野いにおは良い作家だし、やっぱりソラニンは名作だ。
普段作家さんをさん付けとか先生付けして書くけど、いにおは別枠だから許してほしい。
せっかく新装版も出たわけだし、どうでもいい自分の思い出話を書きたい。
旧版ソラニンを買ったのは中3の時で、家族で北海道旅行の出発の日だった。セントレアに行く前に名駅で時間を潰していて、道中暇だろうからと駅チカのちいさな本屋さんで買った。
全2巻。ほど良い。旅行のお供にジャストサイズ。
当時「マンガがあればいーのだ。」さんの紹介記事を読んで気になっていたので、何気なしに買って行きの飛行機の中で読んだわけです。
1巻まで読んで、種田がどうなったのかイマイチわからないままに北海道に到着した。たしか残りは泊まり先で読んだ気がする。
正直その頃は、素晴らしい青春漫画だとは十分に感じていたんだけど、100%を理解できてはいなかった。今だって100%の理解が出来ているとも思わないけれど。
なんというかこの作品をキラキラしたものとしか掴めていなかった。
読み返すのも辛いけどこのブログにも当時かいた感想記事が残ってる。頑張って読み返すと
「うーーーーん、わかる、わかるよお前の気持ち。でも惜しい、これからもっとソラニンは最高の作品になるぞ」って感じだ。
自分は漫画の実写映画化のうち、かなりレアケースな成功例のひとつとして映画「ソラニン」を挙げる。
大学生で一人暮らしをしていて、20時までのバイトが終わって何気なしに映画館のほうに自転車で向かった。ツイッターでだれかが「ソラニンの映画が良かった」とつぶやいていたので、レイトショーで見た。公開されてから結構経っていたので自分のほかにはスーツ姿の30手前くらいの男の人しか劇場にいなかった。
で、まぁ、この映画でボロボロ泣いたのだった。
それから家に戻って、実家から持ってきていたソラニンを読み返した。中学の時読んだときより、はたまた何気なく本を手に取った高校の時の暇な夏休みのときより、断然ブッ刺さった。
なんせ音楽がいい。
説明不要でしょうけれど漫画の作中で歌われる「ソラニン」は、
アジカンの手によって映画主題歌として制作、リリース。
原作漫画も映画も見たことないけど曲は好きって人も結構いると思うし、なんならソラニンしかアジカンの曲を知らない人だっているかもしれない。
アジカンの中でもかなりの人気曲だし(まぁ本人たちが作詞してないのが人気投票一位になるのは流石にアレだし、人気には個人差がある)単なるメディアミックスの一環として以上の輝きを放ち続けている。イントロの最初のギターの音ですでに泣ける。なんて透明で淡い、締め付けられるような切ない音なんだよ。
というか自分にとってアジカンって本当に特別でめちゃくちゃ大きな存在で、高校受験の時にどんだけ「ファイブエム」「ソルファ」をリピートしたんだか分からない。深夜に「アンダースタンド」って曲のコーラスの「ナッナーナナナ」ってところを裏声で音源とハモってたら母ちゃんが入ってきてすっげえ気まずかったんだぞ・・・
脱線した。ともかくアジカンは最高であり、ソラニンも唯一無二の最強音楽なので、つまり映画も良い。サンボマスター近藤洋一の演技力に驚愕しろ。映画のエンドロールで流れる「ムスタング」の別アレンジバージョンもすっごくいいよ。おすすめです。
ソラニンはアジカンのライブでは勿論、超満員のロックフェスでも演奏されている。
それだけで胸が熱くなるんですよ。種田が遺したあの曲が。デモCDはほとんど箸にも棒にも引っかからなかったあの曲が。ちっさな地下のライブハウスで芽衣子が拙いながらに歌った曲が。こんなに大勢の前で歌われる、愛される曲になっているという現実。
フィクションとリアルを完全に混同してます。でも、でももうこの事実そのものが、現象それこそが、「ソラニン」という物語の隠しシナリオみたいに感じる。泣くしかない。奇跡でしかない。おい種田。種田・・・・・・お前の曲、イントロ流れるだけで歓声があがってるんだぞ・・・
そして新装版の発売である。
旧版発売から11年。
描き下ろしの第29話ではあれから10年の時が経った、彼らの姿が描かれている。
久しぶりに読み返した本編。20代なかばとなったいま読んだソラニンも痺れる読み応えだった。かつてとは味わいもだいぶ違う。年をとって彼らの年齢に近づいた。なんなら少し通り過ぎたくらいだ。
リアルに、それこそ内なる自分から問いただされるような剥き出しの言葉が作中に散らばっている。
ひとつひとつがギラリと鋭利に光っている。
将来をうやむやにしたい破滅願望や、求められる役割と自分自身とのギャップや、特別ななにかになりたいという淡い期待や、ちっぽけなダメ人間なりに大事なものを守ろうとしている感じとか、でも守ろうとしてるのはちっぽけな自分のプライドじゃん?で、嘆息するわけですよ。なんだよこれ。よくこんな漫画売れたな。世の中の人そんなにメンタルがタフなのかな。
種田が信号無視した理由があとがきで触れられていたけれど、作者の答えは非常に納得にいくものだった。スッキリしたようにも思うしなんだか余計にしょーもないようにも思えて、また泣けた。
とにかく痛々しくて、だからこそ彼らが足掻く姿が眩しい。豪雨とともに流れる涙。なにかを掴もうとする細い腕。がむしゃらな汗の一滴。
そしてそんな日々も、途方もない喪失も、いつしか薄れていく。
そうして毎日を生きていく。行きていくしかない。
見失いながら、倒れ込みそうになりながら、たまにあの頃を思い出して、酒をあおったりする。そういう何処にでもいる大人になっている。
第29話で作者の強い信念を感じた点は、種田の姿を描かったことだ。
例えば本編で描かれなかった回想シーンとしてや、芽衣子が夢に見たことだったりとかで、種田を描いても良かったかも知れない。
けれど29話は一切そんな内容じゃない。2017年を生きる芽衣子や、アイちゃんや、加藤やビリーがそこにいる。
みんな穏やかな表情をした、大人になった。
種田は図らずしも「ソラニン」という別れの歌を彼らに遺した。
この29話を読んで改めて、曲のメッセージ性の強さを確かめられる。
あの曲に支えられて、そして背中を押されながら、のこされた彼らは生きてきたのだろう。
けっして忘れたわけじゃない。でも、確実に日常のなかで薄れていく。
ただその残像が強烈な熱を宿していく。喪失の先にある暖かな日常に到達している。
寂しいし、名残惜しいけど、いいんだよ。あのメロディーを誰かが口ずさむなら。
加藤とビリーはあの時、腕をたかく掲げた。
芽衣子はある日、ふと思い出の曲のワンフレーズを思い出した。
そんなふうに。たまに引き出しから取り出しては眺める宝物みたいに。少しずつ色素を薄くして誰からも見えなくなっても、きっとそこに残っているものだって有るのかもしれない。
”意味もなく何となく進む淀みあるストーリー”。
零落 (ビッグコミックススペシャル) 浅野 いにお 小学館 2017-10-30 売り上げランキング : 106 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
いっしょに「零落」も買いましたけどまだ上手に飲み込めていないので、別の時に。
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