[アニメ]最高級の、雨ふる楽園の物語。『言の葉の庭』感想
<追記>
映画本編を見て本記事に来た方はぜひこちらもチェックしてみてほしい。
→隠された聖なるエンディング-『言の葉の庭』イメージソングMVについて
まるで世界の秘密そのものみたいに、彼女は見える
雨上がりより雨が降るのを待つ男女。心を寄り添わせていく2人のドラマ。
新海誠監督の最新作「言の葉の庭」は、癒しと葛藤とフェティシズムと青い感動が詰まった、個人的に傑作と呼びたい仕上がりとなっていました。
公開初日に映画館に行き、劇場でブルーレイを購入し、それから今まで毎日ペースで見ています。そしてそのたびこの風情に心洗われる。(劇場ではもうBD,DVDが販売されているのです)
そしてこれは強調しておきたい。コイツは素晴らしい年上のお姉さん萌えをくれる作品だぞ、と。
ヒロイン雪野さんの戦闘力の高さ・・・これは過去の新海作品でもぶっちぎりのものを感じる!演じる花澤香菜さんの演技もお見事!
なんですかこの「守ってあげたい」欲を掻き立てるお姉さんは!!
切ない現代劇ということで前々作「秒速5センチメートル」を思い出す人も多いとおもいます。しかし「言の葉の庭」逃れられないこの新海監督らしさと、秒速とは違ったエモーショナルな展開に心揺さぶられます作品になっているのです。
秒速が好きにしろ嫌いにしろ、なにか引っかかりをのこしたのであればぜひこの「言の葉の庭」も見ていただきたい‥・!
『デジタル時代の映像文学』に相応しい感動作ですよ!
“愛”よりも昔、“孤悲(こい)”のものがたり
これが本作のキャッチフレーズですが、見事ですねぇ。内容ピッタリだし、このフレーズの余韻が本編の美しさを増幅してすらいる。
古典がひとつのパーツとなる本作。“孤悲”とは昔「恋」をそう記述していたことに由来する表記らしいです。
恋=独り、悲しい。
なんかこう、うわぁ新海作品っぽい、と一発で感じさせる叙情パワー溢れるフレーズですね。
監督の作品に何度も打ちのめされてきた自分としてこれはジャストミートに心の深い部分に突き刺さる名コピー・・・!
作品を読み解くに監督のコメントは重要で、例えば制作発表時のコメントには
「愛に至る以前の、孤独に誰かを希求するしかない感情の物語」
「誰かとの愛もきずなも約束もなく、そのはるか手前で立ちすくんでいる個人を描きたい」
と述べており、見終えた後に改めて考えなおしても、なるほどと納得する。
●なんといってもこの絵の美しさは最高級品。
開始すぐ、一番最初のカットに目も心も奪われてしまいました。
雨打つ水面に光が散らばる、しずかな緑の風景。
新海映画の大きな特徴であった、圧倒的に美しい背景や光の演出は、さらに磨きをかけています。自分はアニメは漫画などで雨が降るシーンが大好きなのですが、そういう面でも大満足。ここまでひたすらに雨の雰囲気を捉え描き、ストーリーにまで雨をねりこんだような作品は初めてな気がする。最高・・・ッ!
あまりにも膨大な感情の情報量が自然に宿っているように感じる。
雨だけじゃない。
自然の生命力が、男女のドラマを神秘的に、ドラマティックに盛り上げていますね。
アニメーションの美しさを、これこれこーいう技術でどーのこうの、っていう専門的な話はできません。でも本当にただただ美しい。
静かな透明感は始まってからずっと終わるまで観るものの心を支配する。
コンパクトな作品なのでサクッと見られる。そして上質な恋物語を味わえた満足感と、心がどこかスッキリとみずみずしくなった感覚を与えてくれます。
単純な絵の美しさひとつとっても突き抜けた魅力があり、お気に入りの画集や絵本を何度も手にとって開いてしまうように、気づけば見たくなっている。そしてBDを再生している‥・。
美しい風景を紡ぐ新海監督の最新作は、紛れもなく過去最高の到達点。
綺麗なアニメが見たいならもうこれでキマリくらいの勢いで推したい。
話もツボだし絵も素晴らしいし、俺にとってもはや楽園のような作品。
いろんなパターンと天気の雨を書き分けている。
はじける水滴。霧のようにただよう水蒸気。水面に広がる波紋。
そんな風景のリアリティは、リアルだけれど「アニメならでは」となぜか思えてしまう。
それでいて明らかに作中の雨はキャラクターの想いが乗せられているんですよね。
優しく、時に激しく降り注ぐ雨は、物言わず何かを伝えてくるのです。
そんなわけで深読みもはかどってしまうんだよなぁ。
●キャラクター
主人公・孝雄は靴職人をめざす15歳の男の子。
大人びた静かな少年で、雨の日に雪野さんに会い続けてどんどん彼女に惹かれていく。15歳らしからぬ成熟を感じさせますが、ラストシーンで自分の気持ちを爆発させる場面はすごく切なく、同時に嬉しくも思ったりもした。
ヒロインの雪野さんはとってもかわいい。少年が憧れる。深みにハマる。吸い込まれる。それが当たり前のような、チャーミングでミステリアスな女の人。
そのことを前提とした上で、「でも結構、雪野さんってヒドいよね?」というツッコミをしながら、ストーリーについて書いてみる次の項目へ移りますw
というか、BDのコメンタリーを聞いてたら新海監督自身「雪野さんはヒドい女」と連呼しており(愛情あってのものであるのは分かるし、コメンタリー終盤でフォローを入れていましたがw)、あ、やっぱりそう思うよねと思った。
心の弱った、大人のズルさも見せる、女性です。もう27歳です。
だからこそ少年は恋をしたんだろう。
だからこそ最後にちゃんと泣いたのだろう。
●ストーリー、というか気になったシーンを順番に上げていく
ここからはネタバレあり。長くなったので○で区切っています。
○出会いの短歌
『雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ 』
孝雄と初めてあった雨の日、雪野さんはそう言って立ち去ります。
ミステリアスだけどここは結構恥ずかしくもあって、大人のイタズラ感がとてもかわいらしいシーンでもある。
この短歌を言う前、空の遠いところでチカチカっと稲妻が走る。
こういう天気のこういう場面でスッと万葉集の恋歌を放てる、彼女の知性がかいま見える場面でもありますね。
○ベールに包まれた存在からの変化
本編序盤が終わったくらいに「雨が降ったら、また会えるかもね」といったあやふやな約束を取り付けた後、ドラマティックなピアノをBGMに2人が近づいて交流を深めていくのが描かれます。
分かりやすいのが東屋での2人の距離感ですね。どんどん近くなっている。
でも間違えちゃいけないのは、距離が近くなっているのは孝雄が近づいていっているからです。雪野さんの座り位置は変わらない。
彼女は自分のことは教えないし、自分から近づこうともしない。でも「雨の朝はここにいるよ」と少年を惑わせる約束をしちゃう。
あ、やっぱり雪野さん、けっこうダメな女性だと思うw
大人の女性のミステリアスな魅力というのは、時に少年を突き放す残酷さを秘めている場合が多い。むしろだからこそ、少年はその神秘を知りたくて触れてみたくて、欲を持ってしまうのだけれど。
序章が終わったくらいから、謎を秘めただけじゃない雪野さんの魅力がどんどん見えてくる。
チョコをどっさりカバンから取り出した時の、少しはしゃいだ様子も
東屋にやってきた孝雄に手を振って笑顔で挨拶する様子も
料理は上手じゃなくて、それを知られた時のむくれ顔も、
ああ・・・なんてかわいいお姉さんなんだ・・・とジワジワと心にも波紋が広がる。
そういう雪野さんの素の部分が見えてくることで、孝雄が彼女に近づいていっているのだなという実感が湧く。
そして電車に乗ろうとしても乗れなかった雪野さん。ここで「サボっているのではなく、何か別の理由が?」と思わせて、その後彼女の疲弊した心がどんどん見えてくる。
余談ですが駅のホームで電車を待っていた雪野さんの横顔が、やや幼い顔立ちに見えて、その時の彼女の胸の内を想像しても、非常にここは好きなシーンです。
ミステリアス。かわいい。大人の色気もある。そしてそれだけじゃなく、何かに傷つき疲れてここにいる。そのことが少年の「はやく大人になってこの人を守りたい」という気持ちにつながっていく感じがする。だから主人公は焦っていくんだ。
これは監督自身が言っていたことですが、親しくなっていく中で「パーソナルスペースとしての傘」が2人の距離感を示しています。
中盤まで、いろんなシーンで雪野さんは傘をさします。これは外界との遮断。孝雄と話している時にも傘をさして、孝雄はさしていない。明らかな距離感。
だからこそ終盤から傘をさすことなく雨に打たれる雪野さんは、その心をどんどん暴かれていく。
○極上の濡れ場!
雪野先生のズルさを感じさせるシーンは結構あって、その代表的な場面であり、作品中でも最大級のインパクトがあるのが、「雪野さんの足を測る」場面だと思います。
孝雄が「靴を作ってるんです。女性の靴です」といった段階でピンときたような表情を見せる。女のカン抜きでもあのシチュじゃあ好意まるわかりだと思うがそこは男子高校生クオリティ。彼のかわいらしい攻めの姿勢が見える。
というか彼の気持ちをほぼ察した上で採寸をOKしたのだろうから、雪野さんは本当に、本当によ…少年の心を弄ぶとは言わんが、無遠慮に刺激しやがってよ…!!
でもそんな所もいいんだ。惑わされたいのだ。「(今作ってるのは)女性の靴です」と言われた後の雪野さんの表情の変化!!ヤバイですよ!!かわいすぎますよ!!
その後だ。渾身の気合がこもった、この映画1番(!?)の見せ場が来る。
つまり濡れ場。ベッドシーンみたいなものですよこれは。接触です。
このシーンのこだわりはこのインタビューページでもたっぷり語られているのでぜひファンは読んでおきたい所。
→『言の葉の庭』新海誠監督インタビュー「これまでの作品と違うのは主人公が“他人を知ろう”としている事」
このシーンの官能たちのぼる緊張感は、すごい。
エロティックでフェチズムを感じる。潔で、けして性的な意味合いを含まない接触。
だけど誰かの足を触る機会なんて普通そうはない。それも男子高校生が、憧れのお姉さんの、神秘的なその身体に触れるなんて。その体温を、この肌で知れるなんて。
どう考えたって興奮しますよ!
キスシーンだって無いこの映画における男女の交わりは、まさにこの採寸シーンが果たしている。響く雨音。吹き付けるちょっと冷えた風。なにも喋らない2人。静寂がさらに胸をドキドキさせてくれます。
この濡れ場、「あなたのための靴をきっと作ります」という宣言に近いものであるので、それを受け入れた時点で雪野さんにはちょっとした責任が生じると思うんですよ。少年をその気にさせちゃった責任みたいなのが。それであの告白シーンでは彼の思いを突っぱねる。やっぱりヒドいや・・・。
○「今まで生きてきて、いまが一番、幸せかもしれない」
終盤、そんな2人のモノローグが重なる場面。この時一番、視聴者も幸せ。
その直後に孝雄が踏みだして、彼の気持ちを雪野さんは受け取らない。
「今が一番幸せなのかもしれない」
これを孝雄が言うのは十分理解ができる。でも雪野さんの場合じゃ事情が違うじゃないかと。実際この直後に孝雄から告白を受けてそれを断る。
雪野さんにとっての「しあわせ」とは、「自分に憧れてくれて波長もあう年下の子に優しくしてもらえる」ことなのか?と思うと、どんどんと雪野さんの、大人の女性としてのズルさとか狡猾さとかが見えてくる。
でもそんな彼女が嫌いなんじゃなくて、そういう汚い方法で救いを求めてしまうほど彼女は弱っていたんだなという風に思える。愛おしいじゃないですか。いくらでも利用されますよ男の子は。夢を見せて下さいよ男の子に。
孝雄を受け入れない選択は、彼女の立場にたって考えてみればそりゃ当然なもの。
なにせ12も年下の、高校生の男の子です。好きですと言われて嬉しいです私もです、なんてスッと言えてしまう大人は、それこそとんでもない大人だ。
ここは大人として少年を突き放さなくちゃ駄目だったシーンなんですよね。
だから雪野さんは間違っちゃいない。正解したのです。間違えていたのは、なにか期待をしすぎてしまった俺だよ・・・。
ここまでガッツリ孝雄に感情移入していたので「そりゃないぜ雪野さーーーん」とほぼ心の中で泣いていた。
「1人で歩く練習をしていたの。靴がなくても」
これは致命的な一言で、靴職人を目指して彼女のための靴を作っていた孝雄を、これほど裏切るセリフもなかなか無い。
○クライマックス、救われていた雪野さん
駆け出す雪野さんと一緒にハッとさせるようなBGMがタイミングよく入ってきて、こっからがクライマックスだ!と誰もがわかる流れ。
はちきれんばかりの激情が心の底から溢れ出てくる名シーンです。
ここで注目したいのは雪野さんが裸足で走ったこと。
靴を履かず裸足で駆け出して、転んで、なんとか主人公の元へ辿り着く。→そして主人公に抱きつく。という流れは、
裸足じゃ歩けない。進めない。だから靴(主人公)を求めた。
という解釈で見たんだけど、都合よく考えすぎかなぁ・・・w
主人公に抱きついてからのセリフがこれ。
「あの場所で わたし あなたに 救われてたの」
と号泣しながらしゃくりあげながら振り絞って言う。
「好き」じゃなく「救われていた」。
これがつまりこの46分の映画の中で深められた絆なのだ。恋愛感情ではなくても、あなたは大切だった。あなたのおかげで救われた。
恋報われずとも、愛しい女性にここまで言ってもらえる。
孝雄にとってけして寂しい結果じゃない。良かったよ・・・。
「主人公が作った靴を履いた雪野さんが見たかったよ!」と強く思います。
あの靴はタカオの恋心の象徴でもあり、雪野さんが再び歩き出すための道具でもある。
なら靴を渡すシーンこそが、この作品のクライマックスになったのでは…?
まだ見ぬその感動のラストシーンは、見終えた人それぞれの想像に託されている。一度強く心結びついた2人なのだから、もう俺はばっちりハッピーエンドが見えていますよ!
○手紙に描かれた靴のイラストの意味
最後。雪野さんから孝雄に向けた手紙が描かれます。
最後の「またお便りをします」の後ろに、可愛らしい靴のイラストが描いてあることが、とても意味深に感じました。
靴なんかなくても歩こうとしていた雪野さん。
しかし孝雄への手紙で、次の手紙を書く約束をしながら、靴のイラストを加えている。これはもちろん孝雄が靴職人を目指していることを意識してのものでしょうが、「気まぐれに書いただけだよ」とするだけじゃあ味気ないじゃないですか。ここは雪野さんの心の中を想像して楽しんでおくべき小ネタなのです。
個人的には遠回しな「あの時話してくれた女性の靴の話、まだ覚えてるんだよ?」というアピールなのでは説を押す。
前向きなエンディングであることを信じて、きっと孝雄はこのあと雪野さんに会いに行ったことを信じて。
ちなみにこの靴のイラスト、BD特典の動画コンテの段階では描かれていませんでした。後から追加された要素なのでしょう。なにげに特別なものである気がする。
○完成した靴のデザインから深読み
孝雄が完成させた靴は、靴紐に葉っぱをモチーフにした部品がついていました。
これはあの緑に囲まれた東屋でのひとときをイメージしてあしらったワンポイントでしょう。
靴に宿るのは、2人で過ごした時間の思い出。
靴とは歩く人を助けるためのもの。雪野さんに捧げる靴に、思い出を象徴するワンポイントが付けられて、いつか届けられるというラストです。
つまりあの頃の2人の時間が、雪野さんを前に歩ませることを示しているのかな、と。孝雄自身の「自分と過ごした時間を忘れてほしくない」という願いも込められていそうですが。
なんにせよ「靴に宿る思い出」というあの靴デザインはとても趣深いものです。
○個人的な未来予想図
2人が恋人になってほしい、という明確な希望があるわけではありません。
ただ、2人の関係がここで終わってしまってはいけない。終わってほしくない。そういう気持ちが自分には強い。結ばれるかはともかく、再会をしてほしい。雪野さんに、孝雄の作った靴を履いてほしい。
「手紙で交流続けてるじゃん?」と思いますが「秒速5センチメートル」ファンとしては、手紙の交流なんていつ途切れるかわかったもんじゃないと胸に刻んであるのです。
「孝雄は会いにいこう」と言っていますが、本当にちゃんと会いにいってくれよ、絶対にだぞ!
まだ時期じゃない、あの人に相応しくない、とか言ってる場合じゃないぞ。
上級生の教室に乗り込んだ時のあの衝動でもって四国へ飛ぶんだよ!!
そしてちゃんと靴を渡すのだ。あなたのために作った靴です、と言って渡す。それがこの作品の本当のラストシーン。その後2人の関係がどうなるかは分からないしそこは拘らない。できれば幸せになってほしいですけどね。
「心が弱っていた時期の思い出」なのではなく。「青春時代の無謀な恋」なのではなく。2人にとって「靴」にまつわる感情を精算してほしいと思う。
そして描かれていない未来は、わりと前向きな演出でもって予感を与えてくれています。だから俺は、この作品は後味のいい作品として認識していますよ。
スタッフロール後、四国で教師をする雪野さんは、授業中にひと窓のむこうに視線を向ける。そこには雲から光がさしている。
まさに万葉集についての授業をしている最中だったので、万葉集から孝雄とのやりとりを思い出したんじゃないかな。
窓の外に目を向ける雪野さんは、「何かが遠くからくる予感」があったのではないかと、できれば2人に再会してほしいハッピーエンド論者の俺は主張したいよ!
遠くから来る誰かは、きっと一回り大人になって、
照れくさそうに自作の靴をプレゼントしにくるんだよ…。ね…。
12という歳の差をリアルに考えればなかなかむずかしい2人だとは思いますが、物語としてはそこを乗り越えて関係をスタートさせる2人を想像してニヤニヤするのである。
“愛”よりも昔、“孤悲”のものがたり
“孤悲”はいつか愛に変わるのだろうか。愛になる前に霧散してしまい、立ちすくんでしまうだろうか。究極的にはもうどちらでもいい。「どうか幸せになってほしい」と祈ることが、きっとこの作品の中のゴールなんですよね。
孝雄が雪野さんにそう思うように。雪野さんが孝雄にそう思うように。物語の受け手である自分も2人の幸せを祈るのだ。
幸せとは、別に誰かと恋人になることだけでは決してないはず。
でもラブストーリーとしては、恋人になって幸せになることを是として欲しいな。
新海監督曰く、「はじめてのラブストーリー」とのことですしね。
○便箋にプリントされていた英語
小ネタ中の小ネタですが・・・
雪野さんからの便箋の一番下にプリントされていた英文がコレです。
・・・ up and Fell in love.I asked my sweerheart ・・・
調べてみたところ、恐らくこれはジェイ・リビングストンとレイ・エバンズによる楽曲「ケセラセラ(Whatever Will Be, Will Be)」のワンフレーズ
When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
ここの一部分だったのではないでしょうか。ケセラセラ自体はわりと有名な曲で聞いたことがありましたが、歌詞を読んだのは今回の更新のためが初めてでした。なかなか、面白いかもしれない。
便箋にプリントされていたものまで考察するのもアレですがまぁね、楽しいからいいよね!
長々と書きましたが、つまりは「ハッピーエンドを十分に信じられる結末」出会ったということです。余韻たっぷりですごく好き。2人のいろんな未来を想像して楽しめる。それこそハッピーエンドも、ビターなものも。
新海監督作品では珍しいくらい女性にも好かれそうなスイーツ映画の雰囲気を醸し出しています。女性にも好かれそうってのは完全に印象だけで言っていますが。
ネットの一部では、舞台挨拶にて新海監督が2人のその後について言及したという情報も見かけました。
その内容はこれからダ・ヴィンチで連載され、1冊にまとまるであろう小説版でも語られるのでしょうが、正直ちょっとこわいなぁ…。
秒速5センチメートルの小説版と同じく、新海監督が書く小説とのことですが、秒速の小説はいい意味でボカされていた部分を明確に描写されていて決着したんですよね。
あまりにも細部が見えすぎるということは、新海監督作品においてはけっこう恐ろしい所がある。
でもいざ小説が連載されだしたらダ・ヴィンチ買う気まんまんです。
主題歌は秦基博さんの「Rain」。大江千里さんのカバー曲です。
これは歌詞から曲調から雰囲気から、作品の一部になっていましたね。
新海監督が「Rain」を好きで、きっとそこからふくらませた作品だから、合って当然と言えるかもしれせん。しかし改めて、儚さと強さと体温のぬくもりを感じさせる秦さんの歌声は、本当にピッタリだった。
スタッフインタビューで新海監督の言葉にとても胸に染み入るものがありました。
『孤独であることを、乗り越えるべきものとして描くようなアニメーションじゃないものを作りたいとずっと思っている』という言葉が印象的でしたね。
これはすべての新海作品に通ずつテーマだと思います。孤独は打ち消すものでも否定されるものでもない、誰も逃げることができない真理なのだと。だからどうそれを向きあうかで、人のドラマは生まれるんだな。
で、これもコメンタリーで監督がで触れられていたことだけれど、雪野さんの胸の描き方の話。
たしかにこれまでの新海作品にはないような注目ができていると見ている途中から自覚できました。
雪野さん、おっぱいが目立つ。というか女性として成熟したエロスを感じます。
他の女性キャラはほとんどおらず、セクシャルな匂いを感じさせる要素も他にない。
だからこそか、雪野さんの、けして飛び抜けたものではない、普通の身体付きに、男子の邪な目線は突き刺さる。普通とは言ったけれど、足はスッと美しいし、たぶんバストサイズは平均よりちょい大きいくらいじゃねーのかなと思うけれど、設定上素晴らしいプロポーションの持ち主というわけではないんだ。
心を弱らせた、秘密めいたお姉さん。まぁ、健康的な男子なら、ね。惹かれるよ。
ブックレットに載っていた大野真さんの映画評、素晴らしかったです。
これが読めただけでもブックレットを買う価値があったと思えますし
その以外の部分でも作品をふかく知れる情報が詰まっていました。
劇場限定スリーブは、キラキラッと光のように雨が舞っているように見える仕様。
画像だと見えづらいかな。上の方がひかっています。これはいいな。
雨音がずっと鳴っていて、身体に染み付いてしまうんじゃないかというくらい、心地よく鼓膜を震わせてくれた。いまの梅雨の季節にぴったりの、素晴らしく美しいアニメーションでした。
問答無用に胸打たれる人がきっと結構いる。自分のように。
不安定で愛おしくて切なくて寂しくて、救いがあって綺麗で・・・
そして年上のお姉さんへの愛がとまらない作品です。(結論はそこ
あー、この世界に沈みつづけていたい。なんて綺麗なんだ。
月刊アフタヌーンでは漫画版も連載されていますし、小説版も監督自身が執筆すると発表されています。これからの展開にも期待したいですね。がっつりハマってる。
ところで劇場だと「言の葉の庭」上映前に「誰かのまなざし」という短編アニメを見ることができましたが、こっちに涙ボロボロ出ました。こちらも素晴らしい作品です。いずれパッケージ化されないかなぁ。
映画本編を見て本記事に来た方はぜひこちらもチェックしてみてほしい。
→隠された聖なるエンディング-『言の葉の庭』イメージソングMVについて
まるで世界の秘密そのものみたいに、彼女は見える
雨上がりより雨が降るのを待つ男女。心を寄り添わせていく2人のドラマ。
新海誠監督の最新作「言の葉の庭」は、癒しと葛藤とフェティシズムと青い感動が詰まった、個人的に傑作と呼びたい仕上がりとなっていました。
公開初日に映画館に行き、劇場でブルーレイを購入し、それから今まで毎日ペースで見ています。そしてそのたびこの風情に心洗われる。(劇場ではもうBD,DVDが販売されているのです)
劇場アニメーション『言の葉の庭』 Blu-ray 【サウンドトラックCD付】 (2013/06/21) 入野自由、花澤香菜 他 商品詳細を見る |
そしてこれは強調しておきたい。コイツは素晴らしい年上のお姉さん萌えをくれる作品だぞ、と。
ヒロイン雪野さんの戦闘力の高さ・・・これは過去の新海作品でもぶっちぎりのものを感じる!演じる花澤香菜さんの演技もお見事!
なんですかこの「守ってあげたい」欲を掻き立てるお姉さんは!!
切ない現代劇ということで前々作「秒速5センチメートル」を思い出す人も多いとおもいます。しかし「言の葉の庭」逃れられないこの新海監督らしさと、秒速とは違ったエモーショナルな展開に心揺さぶられます作品になっているのです。
秒速が好きにしろ嫌いにしろ、なにか引っかかりをのこしたのであればぜひこの「言の葉の庭」も見ていただきたい‥・!
『デジタル時代の映像文学』に相応しい感動作ですよ!
“愛”よりも昔、“孤悲(こい)”のものがたり
これが本作のキャッチフレーズですが、見事ですねぇ。内容ピッタリだし、このフレーズの余韻が本編の美しさを増幅してすらいる。
古典がひとつのパーツとなる本作。“孤悲”とは昔「恋」をそう記述していたことに由来する表記らしいです。
恋=独り、悲しい。
なんかこう、うわぁ新海作品っぽい、と一発で感じさせる叙情パワー溢れるフレーズですね。
監督の作品に何度も打ちのめされてきた自分としてこれはジャストミートに心の深い部分に突き刺さる名コピー・・・!
作品を読み解くに監督のコメントは重要で、例えば制作発表時のコメントには
「愛に至る以前の、孤独に誰かを希求するしかない感情の物語」
「誰かとの愛もきずなも約束もなく、そのはるか手前で立ちすくんでいる個人を描きたい」
と述べており、見終えた後に改めて考えなおしても、なるほどと納得する。
●なんといってもこの絵の美しさは最高級品。
開始すぐ、一番最初のカットに目も心も奪われてしまいました。
雨打つ水面に光が散らばる、しずかな緑の風景。
新海映画の大きな特徴であった、圧倒的に美しい背景や光の演出は、さらに磨きをかけています。自分はアニメは漫画などで雨が降るシーンが大好きなのですが、そういう面でも大満足。ここまでひたすらに雨の雰囲気を捉え描き、ストーリーにまで雨をねりこんだような作品は初めてな気がする。最高・・・ッ!
あまりにも膨大な感情の情報量が自然に宿っているように感じる。
雨だけじゃない。
自然の生命力が、男女のドラマを神秘的に、ドラマティックに盛り上げていますね。
アニメーションの美しさを、これこれこーいう技術でどーのこうの、っていう専門的な話はできません。でも本当にただただ美しい。
静かな透明感は始まってからずっと終わるまで観るものの心を支配する。
コンパクトな作品なのでサクッと見られる。そして上質な恋物語を味わえた満足感と、心がどこかスッキリとみずみずしくなった感覚を与えてくれます。
単純な絵の美しさひとつとっても突き抜けた魅力があり、お気に入りの画集や絵本を何度も手にとって開いてしまうように、気づけば見たくなっている。そしてBDを再生している‥・。
美しい風景を紡ぐ新海監督の最新作は、紛れもなく過去最高の到達点。
綺麗なアニメが見たいならもうこれでキマリくらいの勢いで推したい。
話もツボだし絵も素晴らしいし、俺にとってもはや楽園のような作品。
いろんなパターンと天気の雨を書き分けている。
はじける水滴。霧のようにただよう水蒸気。水面に広がる波紋。
そんな風景のリアリティは、リアルだけれど「アニメならでは」となぜか思えてしまう。
それでいて明らかに作中の雨はキャラクターの想いが乗せられているんですよね。
優しく、時に激しく降り注ぐ雨は、物言わず何かを伝えてくるのです。
そんなわけで深読みもはかどってしまうんだよなぁ。
●キャラクター
主人公・孝雄は靴職人をめざす15歳の男の子。
大人びた静かな少年で、雨の日に雪野さんに会い続けてどんどん彼女に惹かれていく。15歳らしからぬ成熟を感じさせますが、ラストシーンで自分の気持ちを爆発させる場面はすごく切なく、同時に嬉しくも思ったりもした。
ヒロインの雪野さんはとってもかわいい。少年が憧れる。深みにハマる。吸い込まれる。それが当たり前のような、チャーミングでミステリアスな女の人。
そのことを前提とした上で、「でも結構、雪野さんってヒドいよね?」というツッコミをしながら、ストーリーについて書いてみる次の項目へ移りますw
というか、BDのコメンタリーを聞いてたら新海監督自身「雪野さんはヒドい女」と連呼しており(愛情あってのものであるのは分かるし、コメンタリー終盤でフォローを入れていましたがw)、あ、やっぱりそう思うよねと思った。
心の弱った、大人のズルさも見せる、女性です。もう27歳です。
だからこそ少年は恋をしたんだろう。
だからこそ最後にちゃんと泣いたのだろう。
●ストーリー、というか気になったシーンを順番に上げていく
ここからはネタバレあり。長くなったので○で区切っています。
○出会いの短歌
『雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ 』
孝雄と初めてあった雨の日、雪野さんはそう言って立ち去ります。
ミステリアスだけどここは結構恥ずかしくもあって、大人のイタズラ感がとてもかわいらしいシーンでもある。
この短歌を言う前、空の遠いところでチカチカっと稲妻が走る。
こういう天気のこういう場面でスッと万葉集の恋歌を放てる、彼女の知性がかいま見える場面でもありますね。
○ベールに包まれた存在からの変化
本編序盤が終わったくらいに「雨が降ったら、また会えるかもね」といったあやふやな約束を取り付けた後、ドラマティックなピアノをBGMに2人が近づいて交流を深めていくのが描かれます。
分かりやすいのが東屋での2人の距離感ですね。どんどん近くなっている。
でも間違えちゃいけないのは、距離が近くなっているのは孝雄が近づいていっているからです。雪野さんの座り位置は変わらない。
彼女は自分のことは教えないし、自分から近づこうともしない。でも「雨の朝はここにいるよ」と少年を惑わせる約束をしちゃう。
あ、やっぱり雪野さん、けっこうダメな女性だと思うw
大人の女性のミステリアスな魅力というのは、時に少年を突き放す残酷さを秘めている場合が多い。むしろだからこそ、少年はその神秘を知りたくて触れてみたくて、欲を持ってしまうのだけれど。
序章が終わったくらいから、謎を秘めただけじゃない雪野さんの魅力がどんどん見えてくる。
チョコをどっさりカバンから取り出した時の、少しはしゃいだ様子も
東屋にやってきた孝雄に手を振って笑顔で挨拶する様子も
料理は上手じゃなくて、それを知られた時のむくれ顔も、
ああ・・・なんてかわいいお姉さんなんだ・・・とジワジワと心にも波紋が広がる。
そういう雪野さんの素の部分が見えてくることで、孝雄が彼女に近づいていっているのだなという実感が湧く。
そして電車に乗ろうとしても乗れなかった雪野さん。ここで「サボっているのではなく、何か別の理由が?」と思わせて、その後彼女の疲弊した心がどんどん見えてくる。
余談ですが駅のホームで電車を待っていた雪野さんの横顔が、やや幼い顔立ちに見えて、その時の彼女の胸の内を想像しても、非常にここは好きなシーンです。
ミステリアス。かわいい。大人の色気もある。そしてそれだけじゃなく、何かに傷つき疲れてここにいる。そのことが少年の「はやく大人になってこの人を守りたい」という気持ちにつながっていく感じがする。だから主人公は焦っていくんだ。
これは監督自身が言っていたことですが、親しくなっていく中で「パーソナルスペースとしての傘」が2人の距離感を示しています。
中盤まで、いろんなシーンで雪野さんは傘をさします。これは外界との遮断。孝雄と話している時にも傘をさして、孝雄はさしていない。明らかな距離感。
だからこそ終盤から傘をさすことなく雨に打たれる雪野さんは、その心をどんどん暴かれていく。
○極上の濡れ場!
雪野先生のズルさを感じさせるシーンは結構あって、その代表的な場面であり、作品中でも最大級のインパクトがあるのが、「雪野さんの足を測る」場面だと思います。
孝雄が「靴を作ってるんです。女性の靴です」といった段階でピンときたような表情を見せる。女のカン抜きでもあのシチュじゃあ好意まるわかりだと思うがそこは男子高校生クオリティ。彼のかわいらしい攻めの姿勢が見える。
というか彼の気持ちをほぼ察した上で採寸をOKしたのだろうから、雪野さんは本当に、本当によ…少年の心を弄ぶとは言わんが、無遠慮に刺激しやがってよ…!!
でもそんな所もいいんだ。惑わされたいのだ。「(今作ってるのは)女性の靴です」と言われた後の雪野さんの表情の変化!!ヤバイですよ!!かわいすぎますよ!!
その後だ。渾身の気合がこもった、この映画1番(!?)の見せ場が来る。
つまり濡れ場。ベッドシーンみたいなものですよこれは。接触です。
このシーンのこだわりはこのインタビューページでもたっぷり語られているのでぜひファンは読んでおきたい所。
→『言の葉の庭』新海誠監督インタビュー「これまでの作品と違うのは主人公が“他人を知ろう”としている事」
このシーンの官能たちのぼる緊張感は、すごい。
エロティックでフェチズムを感じる。潔で、けして性的な意味合いを含まない接触。
だけど誰かの足を触る機会なんて普通そうはない。それも男子高校生が、憧れのお姉さんの、神秘的なその身体に触れるなんて。その体温を、この肌で知れるなんて。
どう考えたって興奮しますよ!
キスシーンだって無いこの映画における男女の交わりは、まさにこの採寸シーンが果たしている。響く雨音。吹き付けるちょっと冷えた風。なにも喋らない2人。静寂がさらに胸をドキドキさせてくれます。
この濡れ場、「あなたのための靴をきっと作ります」という宣言に近いものであるので、それを受け入れた時点で雪野さんにはちょっとした責任が生じると思うんですよ。少年をその気にさせちゃった責任みたいなのが。それであの告白シーンでは彼の思いを突っぱねる。やっぱりヒドいや・・・。
○「今まで生きてきて、いまが一番、幸せかもしれない」
終盤、そんな2人のモノローグが重なる場面。この時一番、視聴者も幸せ。
その直後に孝雄が踏みだして、彼の気持ちを雪野さんは受け取らない。
「今が一番幸せなのかもしれない」
これを孝雄が言うのは十分理解ができる。でも雪野さんの場合じゃ事情が違うじゃないかと。実際この直後に孝雄から告白を受けてそれを断る。
雪野さんにとっての「しあわせ」とは、「自分に憧れてくれて波長もあう年下の子に優しくしてもらえる」ことなのか?と思うと、どんどんと雪野さんの、大人の女性としてのズルさとか狡猾さとかが見えてくる。
でもそんな彼女が嫌いなんじゃなくて、そういう汚い方法で救いを求めてしまうほど彼女は弱っていたんだなという風に思える。愛おしいじゃないですか。いくらでも利用されますよ男の子は。夢を見せて下さいよ男の子に。
孝雄を受け入れない選択は、彼女の立場にたって考えてみればそりゃ当然なもの。
なにせ12も年下の、高校生の男の子です。好きですと言われて嬉しいです私もです、なんてスッと言えてしまう大人は、それこそとんでもない大人だ。
ここは大人として少年を突き放さなくちゃ駄目だったシーンなんですよね。
だから雪野さんは間違っちゃいない。正解したのです。間違えていたのは、なにか期待をしすぎてしまった俺だよ・・・。
ここまでガッツリ孝雄に感情移入していたので「そりゃないぜ雪野さーーーん」とほぼ心の中で泣いていた。
「1人で歩く練習をしていたの。靴がなくても」
これは致命的な一言で、靴職人を目指して彼女のための靴を作っていた孝雄を、これほど裏切るセリフもなかなか無い。
○クライマックス、救われていた雪野さん
駆け出す雪野さんと一緒にハッとさせるようなBGMがタイミングよく入ってきて、こっからがクライマックスだ!と誰もがわかる流れ。
はちきれんばかりの激情が心の底から溢れ出てくる名シーンです。
ここで注目したいのは雪野さんが裸足で走ったこと。
靴を履かず裸足で駆け出して、転んで、なんとか主人公の元へ辿り着く。→そして主人公に抱きつく。という流れは、
裸足じゃ歩けない。進めない。だから靴(主人公)を求めた。
という解釈で見たんだけど、都合よく考えすぎかなぁ・・・w
主人公に抱きついてからのセリフがこれ。
「あの場所で わたし あなたに 救われてたの」
と号泣しながらしゃくりあげながら振り絞って言う。
「好き」じゃなく「救われていた」。
これがつまりこの46分の映画の中で深められた絆なのだ。恋愛感情ではなくても、あなたは大切だった。あなたのおかげで救われた。
恋報われずとも、愛しい女性にここまで言ってもらえる。
孝雄にとってけして寂しい結果じゃない。良かったよ・・・。
「主人公が作った靴を履いた雪野さんが見たかったよ!」と強く思います。
あの靴はタカオの恋心の象徴でもあり、雪野さんが再び歩き出すための道具でもある。
なら靴を渡すシーンこそが、この作品のクライマックスになったのでは…?
まだ見ぬその感動のラストシーンは、見終えた人それぞれの想像に託されている。一度強く心結びついた2人なのだから、もう俺はばっちりハッピーエンドが見えていますよ!
○手紙に描かれた靴のイラストの意味
最後。雪野さんから孝雄に向けた手紙が描かれます。
最後の「またお便りをします」の後ろに、可愛らしい靴のイラストが描いてあることが、とても意味深に感じました。
靴なんかなくても歩こうとしていた雪野さん。
しかし孝雄への手紙で、次の手紙を書く約束をしながら、靴のイラストを加えている。これはもちろん孝雄が靴職人を目指していることを意識してのものでしょうが、「気まぐれに書いただけだよ」とするだけじゃあ味気ないじゃないですか。ここは雪野さんの心の中を想像して楽しんでおくべき小ネタなのです。
個人的には遠回しな「あの時話してくれた女性の靴の話、まだ覚えてるんだよ?」というアピールなのでは説を押す。
前向きなエンディングであることを信じて、きっと孝雄はこのあと雪野さんに会いに行ったことを信じて。
ちなみにこの靴のイラスト、BD特典の動画コンテの段階では描かれていませんでした。後から追加された要素なのでしょう。なにげに特別なものである気がする。
○完成した靴のデザインから深読み
孝雄が完成させた靴は、靴紐に葉っぱをモチーフにした部品がついていました。
これはあの緑に囲まれた東屋でのひとときをイメージしてあしらったワンポイントでしょう。
靴に宿るのは、2人で過ごした時間の思い出。
靴とは歩く人を助けるためのもの。雪野さんに捧げる靴に、思い出を象徴するワンポイントが付けられて、いつか届けられるというラストです。
つまりあの頃の2人の時間が、雪野さんを前に歩ませることを示しているのかな、と。孝雄自身の「自分と過ごした時間を忘れてほしくない」という願いも込められていそうですが。
なんにせよ「靴に宿る思い出」というあの靴デザインはとても趣深いものです。
○個人的な未来予想図
2人が恋人になってほしい、という明確な希望があるわけではありません。
ただ、2人の関係がここで終わってしまってはいけない。終わってほしくない。そういう気持ちが自分には強い。結ばれるかはともかく、再会をしてほしい。雪野さんに、孝雄の作った靴を履いてほしい。
「手紙で交流続けてるじゃん?」と思いますが「秒速5センチメートル」ファンとしては、手紙の交流なんていつ途切れるかわかったもんじゃないと胸に刻んであるのです。
「孝雄は会いにいこう」と言っていますが、本当にちゃんと会いにいってくれよ、絶対にだぞ!
まだ時期じゃない、あの人に相応しくない、とか言ってる場合じゃないぞ。
上級生の教室に乗り込んだ時のあの衝動でもって四国へ飛ぶんだよ!!
そしてちゃんと靴を渡すのだ。あなたのために作った靴です、と言って渡す。それがこの作品の本当のラストシーン。その後2人の関係がどうなるかは分からないしそこは拘らない。できれば幸せになってほしいですけどね。
「心が弱っていた時期の思い出」なのではなく。「青春時代の無謀な恋」なのではなく。2人にとって「靴」にまつわる感情を精算してほしいと思う。
そして描かれていない未来は、わりと前向きな演出でもって予感を与えてくれています。だから俺は、この作品は後味のいい作品として認識していますよ。
スタッフロール後、四国で教師をする雪野さんは、授業中にひと窓のむこうに視線を向ける。そこには雲から光がさしている。
まさに万葉集についての授業をしている最中だったので、万葉集から孝雄とのやりとりを思い出したんじゃないかな。
窓の外に目を向ける雪野さんは、「何かが遠くからくる予感」があったのではないかと、できれば2人に再会してほしいハッピーエンド論者の俺は主張したいよ!
遠くから来る誰かは、きっと一回り大人になって、
照れくさそうに自作の靴をプレゼントしにくるんだよ…。ね…。
12という歳の差をリアルに考えればなかなかむずかしい2人だとは思いますが、物語としてはそこを乗り越えて関係をスタートさせる2人を想像してニヤニヤするのである。
ひとりで遠くまで歩けるようになったその先に、雪野さんに会いにいく誓いをしている。“独悲”を抜けたあとに、きっと2人はまた近くなる。「歩く練習をしていたのは、きっと俺も同じだと、今は思う。いつかもっと、もっと遠くまで歩けるようになったら、会いに行こう」
“愛”よりも昔、“孤悲”のものがたり
“孤悲”はいつか愛に変わるのだろうか。愛になる前に霧散してしまい、立ちすくんでしまうだろうか。究極的にはもうどちらでもいい。「どうか幸せになってほしい」と祈ることが、きっとこの作品の中のゴールなんですよね。
孝雄が雪野さんにそう思うように。雪野さんが孝雄にそう思うように。物語の受け手である自分も2人の幸せを祈るのだ。
幸せとは、別に誰かと恋人になることだけでは決してないはず。
でもラブストーリーとしては、恋人になって幸せになることを是として欲しいな。
新海監督曰く、「はじめてのラブストーリー」とのことですしね。
○便箋にプリントされていた英語
小ネタ中の小ネタですが・・・
雪野さんからの便箋の一番下にプリントされていた英文がコレです。
・・・ up and Fell in love.I asked my sweerheart ・・・
調べてみたところ、恐らくこれはジェイ・リビングストンとレイ・エバンズによる楽曲「ケセラセラ(Whatever Will Be, Will Be)」のワンフレーズ
When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
ここの一部分だったのではないでしょうか。ケセラセラ自体はわりと有名な曲で聞いたことがありましたが、歌詞を読んだのは今回の更新のためが初めてでした。なかなか、面白いかもしれない。
便箋にプリントされていたものまで考察するのもアレですがまぁね、楽しいからいいよね!
長々と書きましたが、つまりは「ハッピーエンドを十分に信じられる結末」出会ったということです。余韻たっぷりですごく好き。2人のいろんな未来を想像して楽しめる。それこそハッピーエンドも、ビターなものも。
新海監督作品では珍しいくらい女性にも好かれそうなスイーツ映画の雰囲気を醸し出しています。女性にも好かれそうってのは完全に印象だけで言っていますが。
ネットの一部では、舞台挨拶にて新海監督が2人のその後について言及したという情報も見かけました。
その内容はこれからダ・ヴィンチで連載され、1冊にまとまるであろう小説版でも語られるのでしょうが、正直ちょっとこわいなぁ…。
秒速5センチメートルの小説版と同じく、新海監督が書く小説とのことですが、秒速の小説はいい意味でボカされていた部分を明確に描写されていて決着したんですよね。
あまりにも細部が見えすぎるということは、新海監督作品においてはけっこう恐ろしい所がある。
でもいざ小説が連載されだしたらダ・ヴィンチ買う気まんまんです。
主題歌は秦基博さんの「Rain」。大江千里さんのカバー曲です。
これは歌詞から曲調から雰囲気から、作品の一部になっていましたね。
新海監督が「Rain」を好きで、きっとそこからふくらませた作品だから、合って当然と言えるかもしれせん。しかし改めて、儚さと強さと体温のぬくもりを感じさせる秦さんの歌声は、本当にピッタリだった。
スタッフインタビューで新海監督の言葉にとても胸に染み入るものがありました。
『孤独であることを、乗り越えるべきものとして描くようなアニメーションじゃないものを作りたいとずっと思っている』という言葉が印象的でしたね。
これはすべての新海作品に通ずつテーマだと思います。孤独は打ち消すものでも否定されるものでもない、誰も逃げることができない真理なのだと。だからどうそれを向きあうかで、人のドラマは生まれるんだな。
で、これもコメンタリーで監督がで触れられていたことだけれど、雪野さんの胸の描き方の話。
たしかにこれまでの新海作品にはないような注目ができていると見ている途中から自覚できました。
雪野さん、おっぱいが目立つ。というか女性として成熟したエロスを感じます。
他の女性キャラはほとんどおらず、セクシャルな匂いを感じさせる要素も他にない。
だからこそか、雪野さんの、けして飛び抜けたものではない、普通の身体付きに、男子の邪な目線は突き刺さる。普通とは言ったけれど、足はスッと美しいし、たぶんバストサイズは平均よりちょい大きいくらいじゃねーのかなと思うけれど、設定上素晴らしいプロポーションの持ち主というわけではないんだ。
心を弱らせた、秘密めいたお姉さん。まぁ、健康的な男子なら、ね。惹かれるよ。
ブックレットに載っていた大野真さんの映画評、素晴らしかったです。
これが読めただけでもブックレットを買う価値があったと思えますし
その以外の部分でも作品をふかく知れる情報が詰まっていました。
劇場限定スリーブは、キラキラッと光のように雨が舞っているように見える仕様。
画像だと見えづらいかな。上の方がひかっています。これはいいな。
雨音がずっと鳴っていて、身体に染み付いてしまうんじゃないかというくらい、心地よく鼓膜を震わせてくれた。いまの梅雨の季節にぴったりの、素晴らしく美しいアニメーションでした。
問答無用に胸打たれる人がきっと結構いる。自分のように。
不安定で愛おしくて切なくて寂しくて、救いがあって綺麗で・・・
そして年上のお姉さんへの愛がとまらない作品です。(結論はそこ
あー、この世界に沈みつづけていたい。なんて綺麗なんだ。
月刊アフタヌーンでは漫画版も連載されていますし、小説版も監督自身が執筆すると発表されています。これからの展開にも期待したいですね。がっつりハマってる。
ところで劇場だと「言の葉の庭」上映前に「誰かのまなざし」という短編アニメを見ることができましたが、こっちに涙ボロボロ出ました。こちらも素晴らしい作品です。いずれパッケージ化されないかなぁ。