[漫画]君がいるならたとえ世界が終わる日も。『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』3巻
「あした地球がこなごなになっても」、見事という他ない。
・・・私たち、・・・ちゃんとした大人になれるかな?
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション、略してデデデデ、さらに縮めてデ略のコミックス第3巻です。
終末はたまたとは滅亡とは慣れ親しんだ隣人である現代に生きる女子高生たちの
くそ平和な日常を綴った、浅野いにお先生のほんのりセカイ系の匂いを放つ最新連載作。
個人的にいま連載している漫画作品の中ではトップクラスに面白いです。
定期的に俺は浅野いにお先生のことを半分ネタにするように楽しみますけど、本気で好きなことはやはり変わりなく。
過去作で時に炸裂させていた自己嫌悪や破滅的思考、暴走する悪意といった殺伐した空気は
ほどよく女子高生たちのとぼけた世界観と交じり合い、不思議な味わいを楽しませてくれます。
素直に女の子カワイイ!世界がヤバい!みんなカワイイ!って楽しんでるんですが
現実と照らしあわせようものならめんどくさい話題になるのでそういうのはしません。
この3巻、感触としては「プロローグはここでお終い」である。
過去最大の事件(彼女らにとっての)と、そしていずれ訪れるアレ。
栗原キホ。
おんたんと門出とよく遊んでいた、仲良しグループの中のひとり。この3巻の表紙の娘。
グループの中ではおそらくいちばん『今風の女子高生』で、ちょっと太めの眉とあえてそれをアピールするように短めにカットされたボブヘアがかわいくて、告白されて舞い上がちゃって、出来た彼氏と一晩中SNSですきなアーティストの歌詞について議論をして寝不足で登校してくる。あれっ、こんなの普通に恋しちゃうぞ!
で、失恋してみんなと弾けるように遊んで慰めてもらって、泣いてしまう。
ちょっと浮かれやすくて素直で、まさに等身大の遊びたいざかりの女の子って感じだ。
おんたんと門出の親友と呼べる女の子だった。そして彼女たちの日常から欠けたピースのひとつになった。
叫んで泣いて、残された4人は確かめるように手を繋いだ。帰り道。
突き刺すようなおんたんの絶叫の見開きに、やられてしまった人、多いんじゃないかな。
こういうのを見るとおんたんはある程度意識的にピエロを演じる部分は間違いなくあるんだ。
栗原キホの死というのは、これまで主人公たちのすぐそばで起こっていた宇宙人との戦争という暴力的な世界は、けしてまやかしなんかじゃないと、そう読者に叩きつけてくる。
きっといつかはあるんじゃないかって、正直なところ身構えていた展開だ。
なのにぽっと、まるで他人事みたいにテレビニュースで読み上げられた犠牲者の中に栗原キホの名前ある・・・という演出が絶妙だ。最初、一瞬、事態がつかめなかった。
その死は軽いのか重いのかも分からない。
世の中にとってはなんてことない死だ。学校のほかのやつらだってケロッとして、スマホでゲームやりながら気楽に同級生の死を話題にする。描かれていない外側でいくらでも人間は犠牲になっていて、けれどそれでもくそみたいな日常に彼女たちはいたはずだった。
・・・本当に上手い。こんなにも不意を付かれてしまうなんて、とショックすると同時にワクワクしてくる。
第23話、卒業式で出席番号23番は読みあげられない。そしてそこにある空席。
喪失というものに対するだれかの悲しみの深さ大きさを描きながらも
死というのはもうそこら中にあって、みんな慣れてしまって、それすらも「くそ平和」の中に収まってしまっているのが静かな狂気を感じさせる。
そしておんたんと門出は第一志望の大学に落ちた。
げぇーっへっへっへっへ!!
・・・おう。
この作品に出てくる「大人」って、いろんな人種がいる。まぁそんなの当たり前なんだけれど。
今の子供達は、リアルタイムで世界が大きく変貌していくそのさなかに、思春期を迎えた。
迷い惑い戦う姿も逃げる姿も、それぞれの大人たちが信じる正義思想戦争を、間近で見つめた世代だ。
その中で、この3巻で俺が1番好きなシーンが一層、胸に響く。
ちゃんとした大人ってなんだろう。
そして胸の奥底にある少しだけの不安。
大人になるまで生きていけるだろうかと。
門出は卒業式を終えたあと担任教師に訪ねます。
「本当の本当は、この世界はどのくらいやばいんですか?」
「ただの偶然があいつらの気まぐれ」
そして当たり前だけど、このくそ平和な日々がそのまま続くことを根拠もなくすこし思っていて
18歳らしい、将来への不安やモラトリアム的な疑問も湧き上がる。
大人に、なれるのだろうか。
甘酸っぱくもあり、この作品の優しい顔した終末感を象徴するかのような、高校生活の最後を飾る名シーンですわ。
「だって僕たちは、僕たちなんだから」というおんたんのセリフも格好いい。
わけもなく不安で、わけもなく自信家で、悲しみはあれど日々はそれなりに満たされて、けれどどうしようもなく欠け落ちたものもあって。
この作品の破滅的な設定って、「青年期の感覚」をさらに色鮮やかに浮かび上がらせる装置としても働いてくれているなと感じます。そういうのが大好き。
ほか、3巻ラストのモノローグも意味深で、今後を読み解くカギになりそう。
ほか、宇宙人に関する事実もいろいろと見えてきました。
実は宇宙人自体はかなり弱いんですね。民間の被害者が出るのだって、撃墜された宇宙船の落下によるものも多い。
現代の自衛武装で、宇宙人との戦闘は圧倒しています。
でも戦争や武器供給、宇宙人討伐をビジネスにする人たちにとって
宇宙人には”脅威”であり続けてもらわないといけない。
だから「殺しすぎないよう注意しろ」「適当数を処理」といった言葉が出てくる。
SF映画みたいな危機的な状況なのに、人々は死を隣に据えながら実に呑気にたくましい。
そして宇宙人。
彼らにも知能はあって、片割れを射殺されれば崩れ落ち、呆然となにか言葉を発する。
この場面は物悲しくてたまらなかった。
宇宙人の扱う言語はまったく意味はわからないんだけど、なんか法則性があって実は解読できたりしないかな・・・
全体的に「世界の危機」と呼ばれるものが薄っぺらくて信じがたくて呑気なもので
でも「いや絶対この先なんかヤバいこと起きるでしょ・・・」って感じるわけで
そしてその予感が現実のものとなるのが、この第3巻ラスト。
プロローグはお終いだ。
おんたんのニートお兄ちゃん(顔だけイケメン)が人助けをするほっこりエピソードも収録。
お兄ちゃん大好き人間としては感謝の一話である。めっちゃ面白かった。
『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』3巻 ・・・・・・・・・★★★★☆
あまりに死に慣れすぎた結果、麻痺をし続けている世界。癒えること無い闇が巣食う。
俺はもっと女の子かわいいおんたん最高って呻きながらこの作品を楽しみたいのに。
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・・・私たち、・・・ちゃんとした大人になれるかな?
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション、略してデデデデ、さらに縮めてデ略のコミックス第3巻です。
終末はたまたとは滅亡とは慣れ親しんだ隣人である現代に生きる女子高生たちの
くそ平和な日常を綴った、浅野いにお先生のほんのりセカイ系の匂いを放つ最新連載作。
個人的にいま連載している漫画作品の中ではトップクラスに面白いです。
定期的に俺は浅野いにお先生のことを半分ネタにするように楽しみますけど、本気で好きなことはやはり変わりなく。
過去作で時に炸裂させていた自己嫌悪や破滅的思考、暴走する悪意といった殺伐した空気は
ほどよく女子高生たちのとぼけた世界観と交じり合い、不思議な味わいを楽しませてくれます。
素直に女の子カワイイ!世界がヤバい!みんなカワイイ!って楽しんでるんですが
現実と照らしあわせようものならめんどくさい話題になるのでそういうのはしません。
この3巻、感触としては「プロローグはここでお終い」である。
過去最大の事件(彼女らにとっての)と、そしていずれ訪れるアレ。
栗原キホ。
おんたんと門出とよく遊んでいた、仲良しグループの中のひとり。この3巻の表紙の娘。
グループの中ではおそらくいちばん『今風の女子高生』で、ちょっと太めの眉とあえてそれをアピールするように短めにカットされたボブヘアがかわいくて、告白されて舞い上がちゃって、出来た彼氏と一晩中SNSですきなアーティストの歌詞について議論をして寝不足で登校してくる。あれっ、こんなの普通に恋しちゃうぞ!
で、失恋してみんなと弾けるように遊んで慰めてもらって、泣いてしまう。
ちょっと浮かれやすくて素直で、まさに等身大の遊びたいざかりの女の子って感じだ。
おんたんと門出の親友と呼べる女の子だった。そして彼女たちの日常から欠けたピースのひとつになった。
叫んで泣いて、残された4人は確かめるように手を繋いだ。帰り道。
突き刺すようなおんたんの絶叫の見開きに、やられてしまった人、多いんじゃないかな。
こういうのを見るとおんたんはある程度意識的にピエロを演じる部分は間違いなくあるんだ。
栗原キホの死というのは、これまで主人公たちのすぐそばで起こっていた宇宙人との戦争という暴力的な世界は、けしてまやかしなんかじゃないと、そう読者に叩きつけてくる。
きっといつかはあるんじゃないかって、正直なところ身構えていた展開だ。
なのにぽっと、まるで他人事みたいにテレビニュースで読み上げられた犠牲者の中に栗原キホの名前ある・・・という演出が絶妙だ。最初、一瞬、事態がつかめなかった。
その死は軽いのか重いのかも分からない。
世の中にとってはなんてことない死だ。学校のほかのやつらだってケロッとして、スマホでゲームやりながら気楽に同級生の死を話題にする。描かれていない外側でいくらでも人間は犠牲になっていて、けれどそれでもくそみたいな日常に彼女たちはいたはずだった。
・・・本当に上手い。こんなにも不意を付かれてしまうなんて、とショックすると同時にワクワクしてくる。
第23話、卒業式で出席番号23番は読みあげられない。そしてそこにある空席。
喪失というものに対するだれかの悲しみの深さ大きさを描きながらも
死というのはもうそこら中にあって、みんな慣れてしまって、それすらも「くそ平和」の中に収まってしまっているのが静かな狂気を感じさせる。
そしておんたんと門出は第一志望の大学に落ちた。
げぇーっへっへっへっへ!!
・・・おう。
この作品に出てくる「大人」って、いろんな人種がいる。まぁそんなの当たり前なんだけれど。
今の子供達は、リアルタイムで世界が大きく変貌していくそのさなかに、思春期を迎えた。
迷い惑い戦う姿も逃げる姿も、それぞれの大人たちが信じる正義思想戦争を、間近で見つめた世代だ。
その中で、この3巻で俺が1番好きなシーンが一層、胸に響く。
ちゃんとした大人ってなんだろう。
そして胸の奥底にある少しだけの不安。
大人になるまで生きていけるだろうかと。
門出は卒業式を終えたあと担任教師に訪ねます。
「本当の本当は、この世界はどのくらいやばいんですか?」
「ただの偶然があいつらの気まぐれ」
そして当たり前だけど、このくそ平和な日々がそのまま続くことを根拠もなくすこし思っていて
18歳らしい、将来への不安やモラトリアム的な疑問も湧き上がる。
大人に、なれるのだろうか。
甘酸っぱくもあり、この作品の優しい顔した終末感を象徴するかのような、高校生活の最後を飾る名シーンですわ。
「だって僕たちは、僕たちなんだから」というおんたんのセリフも格好いい。
わけもなく不安で、わけもなく自信家で、悲しみはあれど日々はそれなりに満たされて、けれどどうしようもなく欠け落ちたものもあって。
この作品の破滅的な設定って、「青年期の感覚」をさらに色鮮やかに浮かび上がらせる装置としても働いてくれているなと感じます。そういうのが大好き。
ほか、3巻ラストのモノローグも意味深で、今後を読み解くカギになりそう。
ほか、宇宙人に関する事実もいろいろと見えてきました。
実は宇宙人自体はかなり弱いんですね。民間の被害者が出るのだって、撃墜された宇宙船の落下によるものも多い。
現代の自衛武装で、宇宙人との戦闘は圧倒しています。
でも戦争や武器供給、宇宙人討伐をビジネスにする人たちにとって
宇宙人には”脅威”であり続けてもらわないといけない。
だから「殺しすぎないよう注意しろ」「適当数を処理」といった言葉が出てくる。
SF映画みたいな危機的な状況なのに、人々は死を隣に据えながら実に呑気にたくましい。
そして宇宙人。
彼らにも知能はあって、片割れを射殺されれば崩れ落ち、呆然となにか言葉を発する。
この場面は物悲しくてたまらなかった。
宇宙人の扱う言語はまったく意味はわからないんだけど、なんか法則性があって実は解読できたりしないかな・・・
全体的に「世界の危機」と呼ばれるものが薄っぺらくて信じがたくて呑気なもので
でも「いや絶対この先なんかヤバいこと起きるでしょ・・・」って感じるわけで
そしてその予感が現実のものとなるのが、この第3巻ラスト。
プロローグはお終いだ。
おんたんのニートお兄ちゃん(顔だけイケメン)が人助けをするほっこりエピソードも収録。
お兄ちゃん大好き人間としては感謝の一話である。めっちゃ面白かった。
『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』3巻 ・・・・・・・・・★★★★☆
あまりに死に慣れすぎた結果、麻痺をし続けている世界。癒えること無い闇が巣食う。
俺はもっと女の子かわいいおんたん最高って呻きながらこの作品を楽しみたいのに。
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