[漫画]青の時間は汚れあって消えていく。『うみべの女の子』2巻
うみべの女の子 2 (F×コミックス) (2013/02/21) 浅野いにお 商品詳細を見る |
…ずっと好きでいてくれるって 約束してくれる?
浅野いにおさんの「うみべの女の子」2巻の感想。完結巻となります。
体温が伝わるほど生々しい。息が詰まるほど愚か。切ないほど愛おしい。
思春期に苛まれる少年少女とか大ッ好物な自分に恐ろしいほどピッタシ寄り添ってくれた作品。
エロい描写もかなりありますが、それよりもこの濃厚な思春期スメルにビンビン。
思春期の繊細さのカタマリみたいなこの作品は、本当に自分に突き刺さる。
ついつい読みながら息を潜めたし耳をすませたし、心を開いていろんな傷と想いを受け取れるようにしながら、慎重に読みました。いや読書中に耳をすませたら集中できませんけど、それはほら、作品の世界ってものに耳をすませるんだよ・・・。
まぁそんな意識途中からすっ飛んで完全に作品の世界に溺れていましたが!意識して受け取ろうと思わずとも、この作品は脳みそにガツンとダイレクトに衝撃を与えるパワフルさがありました。
甘酸っぱくて苦々しくてたまんねーな!ハァーもう!うっかり泣いちゃったよ!
以下ネタバレしてる箇所もあるので注意。
前巻→苦しいほど愛おしい思春期 『うみべの女の子』1巻
海辺のなにもない町が舞台。
内向的な中学生男子・磯部と、何度も彼とセックスをしている同級生の小梅。
2人は付き合ってはいません。性への興味と、それとなんとなくの慰め合いで肌を重ねてきた。暖かいものに触れて、癒されたかったのかもしれない。
けれど「うみべの女の子」を写したデジカメデータからひと波乱。
何度も何度も、それこそ無理やりに身体をたぐりよせても、心は離れていくばかり。1巻はその離れていく心がじっくり描かれてクライマックスへと向かっていきました。バラバラに空中分解して落ちていくみたいに。
淡い恋心。傷つけられた者の闇。不器用なふれあいしてできない。まさに思春期のドロドロがここには渦巻いており、俺のテンションはダダ上がりである。
致命的に仲違いをした。でも、責められることを分かってもどちらかが踏み出せば、またなし崩し的にぬくもりを求める。いい加減なもんだ、子供って。難しいことを気にしても、自分の都合がいい方に流されがちで。冷たくなった心を温めようと2人して
セックスという大人の道具を、大人になりきれていない子供たちが使う。
その危うげなアンバランスさがとことんツボだ・・・!
「してもしても何か足りない気がするのは、なんでだと思う?」
その言葉を磯部はごまかしてまたヤりはじめるのですが。磯部は答えなんてわかってないんだろうな。その疑問をきっと彼も抱いていたと思う。
何が足りなかったのか。それはいろんな解釈があるはず。
日々を生きる余裕や、きちんとした恋人同士の証や、信じることができる心の強さや、今まで決して交わさなかったキスや、いろいろだ。
何か足りないんじゃない。こんな実りのない日々は、完成を求めちゃいけない。幸福を目指しちゃいけない。でも彼らは足掻きたかったのだろう。
細かく好きなシーンを挙げてもキリがないので、とびきり好きなシーンについて書こう。第19話。全20話で完結し、最終話はエピローグとなっているので、実際ここで全ての決着がする大切な話数。
ここにたどり着くための物語だったのだな、と確信できる。凄まじい切なさに心が暴れだしそうな自分と、静かに事実を受け止める冷静な自分を感じて、ほかにもいろんな感想が混ざりに混ざって、別世界にトリップしたみたいな感覚。
ここで小梅を拒絶したことが、磯部が初めて見せた」大人」だったと思う。
彼は大人と子供のはざまで揺らぎっぱなしだった彼らが、尊い結末を見出す。
大人になっていく。罪も償う。きっと好きな人に大切なキスをする。
いろんなことをした。けれどラストで、「何もしない」ことで成長が示されている。一歩が踏み出されたことがわかる。
そうして確かに『ちょっとだけ』大人になった姿を描いて、この作品は終わるのだ。
それを受け入れられず大号泣する小梅には心底胸が締め付けられる思いだ。だけれど最終話で彼女が見せる仕草のひとつひとつに、やはり彼女も大人になっているんだなと、と思ってじんわりと染み入るものがあった。
最初は磯部が言い迫っていたのにね。キスをせがんだのは磯部だったのにね。それを拒んだのは小梅だったのにね。
静かに心は流れ変わって、昔あった形をなくす。
こんなすれ違いの1つにすらどうしようもなく切なくなって、思春期のフラフラした曖昧な心模様を思い描いてやっぱり泣きたくなる。
クライマックスで何が起こったのかは、そのものズバリを書こうとは思いませんが、こういう書きぶりだと察してしまうだろうから隠す意味はあまり無いかもしれないな。でもまぁ一応セオリーとして伏せておこう。
タイトル「うみべの女の子」は、磯部が大切に持っていたデジカメに写真データに写っていた女の子を示していました。他の含みもあるだろうけど。
それで最終話で「おっ」と思ったのは、データを収めたCDカードをめぐるループ構造。
磯部が恋した「うみべの女の子」は、海辺でひろったSDカードに入っていた写真データでした。それは1巻の頭の法とか、あと1巻110Pにも言及がありますね。映っているのが誰なのか、落としたのは誰なのかわからないまま、磯辺は「うみべの女の子」に焦がれていきます。
そして2巻クライマックス。再び、一枚のSDカードが海辺でなくなる。
小梅もまた、ここでSDカードを落としてしまうのです。
誰かに拾われるかもしれない。それでまた別のなにかが、知らないどこかで起こるかもしれない。この海辺を通じて、小さなきっかけが散らばっていく。
小ネタのようなものですが、このループ構造が、思春期の世代交代リレーを象徴しているように感じる。とてもお気に入りなのですよこの演出!。繰り返すものだ。愚かな過ちも、はかない恋物語も、なんにもない日々も。
次拾うのが思春期の男女なのかは、神のみぞ知る。でもこの余韻が素晴らしい!
「うみべの女の子」2巻の感想でした。
個人的に浅野さんといえば個人的に「ソラニン」が大傑作と思っております。
まぁ読みやすいライトな作品でしたからね。この作家さんはディープになるほど、おもしろい!!!と断言できなくなっていくのが・・・いや基本好きなんですけどね。
しかし今回の「うみべの女の子」は、それに並ぶくらい好きかもしれない。
この淡く涼やかで、しかし尖りまくった青春!
あの頃のどうしようもないと脆さと閉塞感!
苦しみが押し詰められただけみたいな堕落と衝動!
あまりにも臨場感たっぷりに思春期のサマが描かれているのです。
浅野いにおさんといえば、とても写実的な風景を漫画に取り込む作家さんですが、
今回のような青春劇では、それが凄まじい効果を見せていたと思います。
なんでもないような風景が物憂げに語りかけてくるかのようで、作品に説得力が出ていたような感じ。モノクロなのにチカチカ眩しいくらい鮮やかな色彩が浮かぶ。美しいです。
そらーね、ハッピーエンドはあんまり期待しちゃいませんでしたよ。
でもハッピーエンドじゃないならバッドエンドだ、ってワケでは当然ない。
この甘酸っぱい余韻は、間違いなく読めてよかった満足感によるものだ!
すごい熱量で紡がれた、もろい物語でした。だからこそこんなに愛おしい。
あの頃僕らはきっと傷つくことに敏感だった。でも他の誰かを傷つけてばかりだった。
かもしれない。なんてことをぼんやり思ったりなど。
そうそう、作者による「うみべの女の子」語りが読めるインタビュー記事もありますよ。
結構前に公開されていたものなんですが自分は気づいてませんでした・・・
せっかく記事書いたので、貼っておこうかなと。
→『うみべの女の子』発売記念! 浅野いにお インタビュー
磯部が小梅を好きになって、それからどんどん心離れていく過程の話とか
モノローグを排除することへの挑戦とか、この作品が好きなら読んでおきたい内容。
こういう作品は、もう自分で自分が無茶苦茶大好きだってことはわかるので
「どういうところが好きか」「この作品で何を感じたか」
を、自分のために言葉にしていく作業でしたよこの記事。
噛み砕いて咀嚼して、この作品に込められた膨大な感情たちを何度も楽しみたい。
彼女はうみべの女の子。
今日はきっと笑っている。今日も笑っている。今日こそ、笑っている。
『うみべの女の子』2巻 ・・・・・・・・・・★★★★☆
いにおさんの漫画のこういうのは大好き。むず痒い。エロくて残酷で愚かしい、僕ら。
合わせて聞きたい名曲。「うみべの女の子」では重要な一曲でした。