[本]猫泥棒と木曜日のキッチン 感想
たまには普通の小説でも。
ニセモノだろうが、間違っていようが、かまうものか。
2005年に当時のメディアワークスから発売された単行本が、新潮社から文庫化。
作者の大衆小説界への移行をより強く感じた出来事でした。
いまやすっかり一般の方へ移っていった橋本さんの作品。
少々昔の作品になるのですが、作者の不動の世界観を感じられる一作でした。
もともと橋本さんは「ラノベっぽくないラノベ」を書いてましたしね。
二人いる父親はもうおらず、ついには母親にも逃げられた姉弟。
そんな厳しい現実をものともせず、ケロリとした表情で特に変わったことのない日々を送る高校生、みずき。父親が違う美少年な弟、コウちゃん。
母親のいない二人の家庭に、ふとしたきっかけから入ることになったみずきの同級生、健一。
「大人がいなくなった家庭」で、まったりのんびりと日常が繰り広がられます。
猫好きの橋本さんらしい、にゃんこを主軸にストーリーが進んでいく展開。
母親が出て行った後、みずきは轢き捨てられた猫の死体を持ち帰り、家の庭に埋めていくようになります。やがて一匹の弱った猫が彼女たちの元にやってきて・・・という感じ。
魔法もロボットもない、SF要素も、アクションもない。学園モノでもないと思う。
でもこの作品には確かに「高校生」がいて。悩んだり笑ったり泣いたりして日々を生きていて。
大人のいない生活は不便だけど、決して生きていけないわけでもない。
ほんの少しズレた現実でも普通に過ごすみずきは、しかし捨て猫に関することになると豹変します。
たぶん、みずきは親がいなくなってしまって、本当は泣きたくなるくらいに悲しかったんだと思う。だけど無意識のうちにそれを押さえつけて、平然としてしまっていた。「父親」の存在があったから。
そこで捨て猫の登場。みずきは捨て猫・・・さらに言えば殺された猫たちに、感情移入をしてしまった。「捨てられた子供」として、同じものを感じてしまったのかな。
とまぁそんなことを読みながら思ったわけですが、個人的には健一君が素晴らしい。
みずきサイドと健一サイドの二つの視点で物語は描かれており、精神面で対照的な二人にそわそわしつつ、健一君の青臭い片思いにニヤニヤしてしまうわけです。
やっぱり俺は男子高校生なわけで、同年代の彼のあれこれは共感できるもものが多いです。
変なことで簡単に浮かれて沈んで、少しばかり行き過ぎてしまうこともある(健一君はオーバーしすぎましたが、こういうのもヨシ!)。ムダなことだと知りつつやってしまうこともたくさんあるのです。
男の子がいてこその青春小説だなぁとw
ややヘビーな終盤、だけどその解決策は笑ってしまうくらいに無謀で子供っぽい「猫泥棒」。
エピローグはすべてを丸く治めることはせず、この先の未来を期待させる終わり方でした。
橋本さんの作品の多くは「あれっ、ここで終わりなの」と読み終わり、ストーリーを反芻していくと、あのタイミングで終わるのがベストだったんだなと思わされる作品が多いと感じていますが、この本もそう。
自分は本を読み終わったけれど、彼らはこの先も生きていくんだなと分かって、読み終わるのが惜しくなる。終わってしまうのが悲しく切なく、そして暖かいのです。
「半分の月がのぼる空」でも、この感覚に半年は苦しめられたなw
普遍的で、でも見失いがちななにかを、そっと思い出させてくれる。
言葉にすれば陳腐なそれを、さりげなく心に届けてくれる。
橋本さんの作品の暖かさをもっと多くの人に知ってほしいですね。
『猫泥棒と木曜日のキッチン』 ・・・・・・・・・★★★★
ナイス青春小説。みずきの強かでさばさばした感じがツボでございます。
>>いか様
髪型も変わってて誰か分からんかったからスルーしちまったんだよwあとで気づいたけど、いまさら振り返って手を振り返すのもなんかアレだなって感じで帰ってきた。
あとね、・・・ガチでリア充なおまいに言われたくねええええ!
ゼラチンは様子見かな~。季刊とは言え、やっぱり値段も張るしNE
ハナハルが表紙だけっぽいのがちと残念。
たかみちさんと森山さんの出来具合で購入検討する予定。hukeさんも気になる。
ネタじゃなく
ほめらじのメインパーソナリティが二人とも変わったという夢を見た。
久しぶりに見た悪夢だ。
猫泥棒と木曜日のキッチン (新潮文庫) (2008/11/27) 橋本 紡 商品詳細を見る |
ニセモノだろうが、間違っていようが、かまうものか。
2005年に当時のメディアワークスから発売された単行本が、新潮社から文庫化。
作者の大衆小説界への移行をより強く感じた出来事でした。
いまやすっかり一般の方へ移っていった橋本さんの作品。
少々昔の作品になるのですが、作者の不動の世界観を感じられる一作でした。
もともと橋本さんは「ラノベっぽくないラノベ」を書いてましたしね。
二人いる父親はもうおらず、ついには母親にも逃げられた姉弟。
そんな厳しい現実をものともせず、ケロリとした表情で特に変わったことのない日々を送る高校生、みずき。父親が違う美少年な弟、コウちゃん。
母親のいない二人の家庭に、ふとしたきっかけから入ることになったみずきの同級生、健一。
「大人がいなくなった家庭」で、まったりのんびりと日常が繰り広がられます。
猫好きの橋本さんらしい、にゃんこを主軸にストーリーが進んでいく展開。
母親が出て行った後、みずきは轢き捨てられた猫の死体を持ち帰り、家の庭に埋めていくようになります。やがて一匹の弱った猫が彼女たちの元にやってきて・・・という感じ。
魔法もロボットもない、SF要素も、アクションもない。学園モノでもないと思う。
でもこの作品には確かに「高校生」がいて。悩んだり笑ったり泣いたりして日々を生きていて。
大人のいない生活は不便だけど、決して生きていけないわけでもない。
ほんの少しズレた現実でも普通に過ごすみずきは、しかし捨て猫に関することになると豹変します。
たぶん、みずきは親がいなくなってしまって、本当は泣きたくなるくらいに悲しかったんだと思う。だけど無意識のうちにそれを押さえつけて、平然としてしまっていた。「父親」の存在があったから。
そこで捨て猫の登場。みずきは捨て猫・・・さらに言えば殺された猫たちに、感情移入をしてしまった。「捨てられた子供」として、同じものを感じてしまったのかな。
とまぁそんなことを読みながら思ったわけですが、個人的には健一君が素晴らしい。
みずきサイドと健一サイドの二つの視点で物語は描かれており、精神面で対照的な二人にそわそわしつつ、健一君の青臭い片思いにニヤニヤしてしまうわけです。
やっぱり俺は男子高校生なわけで、同年代の彼のあれこれは共感できるもものが多いです。
変なことで簡単に浮かれて沈んで、少しばかり行き過ぎてしまうこともある(健一君はオーバーしすぎましたが、こういうのもヨシ!)。ムダなことだと知りつつやってしまうこともたくさんあるのです。
男の子がいてこその青春小説だなぁとw
ややヘビーな終盤、だけどその解決策は笑ってしまうくらいに無謀で子供っぽい「猫泥棒」。
エピローグはすべてを丸く治めることはせず、この先の未来を期待させる終わり方でした。
橋本さんの作品の多くは「あれっ、ここで終わりなの」と読み終わり、ストーリーを反芻していくと、あのタイミングで終わるのがベストだったんだなと思わされる作品が多いと感じていますが、この本もそう。
自分は本を読み終わったけれど、彼らはこの先も生きていくんだなと分かって、読み終わるのが惜しくなる。終わってしまうのが悲しく切なく、そして暖かいのです。
「半分の月がのぼる空」でも、この感覚に半年は苦しめられたなw
普遍的で、でも見失いがちななにかを、そっと思い出させてくれる。
言葉にすれば陳腐なそれを、さりげなく心に届けてくれる。
橋本さんの作品の暖かさをもっと多くの人に知ってほしいですね。
『猫泥棒と木曜日のキッチン』 ・・・・・・・・・★★★★
ナイス青春小説。みずきの強かでさばさばした感じがツボでございます。
>>いか様
髪型も変わってて誰か分からんかったからスルーしちまったんだよwあとで気づいたけど、いまさら振り返って手を振り返すのもなんかアレだなって感じで帰ってきた。
あとね、・・・ガチでリア充なおまいに言われたくねええええ!
ゼラチンは様子見かな~。季刊とは言え、やっぱり値段も張るしNE
ハナハルが表紙だけっぽいのがちと残念。
たかみちさんと森山さんの出来具合で購入検討する予定。hukeさんも気になる。
ネタじゃなく
ほめらじのメインパーソナリティが二人とも変わったという夢を見た。
久しぶりに見た悪夢だ。
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こんにちは。
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初コメです。
こんにちは。
昨夜、新年会で呑みすぎで、今起きました。
ボーっとしながら、PCを覗いています。
また、ゆっくり寄らせてもらいますね。